愛子さまが皇太子になるべき100の理由No.81
サンデー毎日の森暢平先生の記事を読んで、"覆水盆に返らず"とはこのことだ、と思いましたので、理由の一つに加えたいと思います。
旧宮家皇族である閑院宮春仁は、
戦後自ら進んで国民になることを選んだ。
国民はそれを好意的に受け止め、歓迎した。
なのに、皇籍離脱から77年が経(た)った今、
時計の針を戦前に戻すのは、妥当なのだろうか?
という記事です。
森先生、ブラボー
素晴らしい!!
旧宮家復帰案は単なるブラフ
記事には、またこのようなことも書かれていました。
「皇籍離脱の御感想を」と聞かれた春仁は、
「(離脱が)本格的な世論となつて以来、その実現の日を待望していた。皇族籍を離脱されて、さぞお淋(さび)しいでしようと同情されるのは私にいわせればお門違いである」
と答えています。
皇籍を離脱したくてしたくてたまらなかったようですね。
なお、この閑院宮春仁は、いわゆる"ゲイ"だったようです。
1957年(昭和32年)には妻の直子が家出し告白手記を発表して、夫は同性愛者(男色家)であったと語り、スキャンダルに見舞われた。上級将校には世話係として従兵がつくが、官舎はせまく寝室は一部屋だったため直子の隣のベッドで春仁はその従兵と同衾し、戦後も三人で生活を送り、夫妻が喧嘩になるとその元従兵が直子を殴ったという。1958年(昭和33年)7月31日に春仁は閑院純仁(かんいん すみひと)に改名し、離婚裁判のうえ、夫婦は1966年に協議離婚する。
皇籍離脱をしたがった理由は、そこにもあったと推測されますが、いずれにせよ人間として、自由を手に入れたことへの喜びを隠すことができなかったのだと、私は思います。
さらに、憲法施行前に皇籍離脱を自署をもって申し入れている。それを示す情願書が発掘されました。
情願書は、
伏見宮朝子(ときこ)、博明、光子、
賀陽宮(かやのみや)恒憲、
久邇宮朝融(くにのみやあさあきら)、俔子(ちかこ)、静子、
梨本宮守正、
朝香宮鳩彦(やすひこ)、
東久邇宮稔彦、
北白川宮房子、祥子、
竹田宮恒徳(つねよし)、
閑院宮春仁
東伏見宮周子(かねこ)
の10宮家15人分。
また、山階宮家にひとり残っていた当主、武彦(49)は、心の病が悪化しており、意思を示せる状況になかった。このため彼も同条同項での離脱となった。
つまり、11宮家全てが、GHQによって強制的に国民にさせられたのではなく、
「自ら願って臣籍降下した」という事になります。
まさに覆水盆に返らず。
こぼれた宮家一族が、元の皇族に戻ることはありえない、ということになりますね。
森先生はこうおっしゃります。
そもそも、「皇室典範増補」(1907年)第6条に「皇族の臣籍に入りたる者は皇族に復することを得す」とあったことを軽視するのはおかしい。皇室と国民の間に明確な区別をつけ、皇室の尊厳を守る措置だった。皇室の聖性を守りたい男系派が、区別を曖昧にしている。旧皇族はGHQによって無理やり離脱させられたと言いたいのだろうが、情願書を見てもその主張には無理がある。
愛子さまが皇太子になるべき理由 その81
ダンケーが切り札にする「旧宮家系男系男子の皇籍取得」案は、歴史の直接証拠となる一次的資料により、GHQの陰謀説が否定され、その根拠を失った。
旧宮家案はブラフ(虚勢、はったり)であることが証明された。
はったりに騙されるな!
日本は、愛子さまというロイヤルストレートフラッシュで、一気に勝負をつけなければいけない。