愛愛子さまが皇太子になるべき100の理由愛No.76

 

昨日の6月8日は、桂宮さまの命日であり、「十年式年祭」が執り行われました。

 

愛子さまはじめ皇族の皆様が参列されました。

 

 

その桂宮宜仁親王は生涯独身でしたが、生前次のように仰っていました。

 

 

 

皇族が結婚することは苦しむ人間を一人増やすことだから自分は結婚しない

 

 

大変重い言葉です。

 

結婚が幸せとは限りませんが、人生を豊かにする選択肢のうちの一つであることは間違いないはずです。

その選択肢を削らなければいけないほど、民間人が皇族に入ることはつらいことなのでしょうか。

 

この発言は、おそらく現代を生きる民間から皇族に入られた皆様を想定しての発言でしょう。

 

上皇后さまは、皇后時代数々のバッシングを受け、失声症になられました。

 

皇后さまは、男児出産へのプレッシャー等から、適応障害になられました。

 

紀子さまは、あろうことか女性天皇支持派から執拗なバッシングを受け、上皇后さまや皇后さまほどではないものの、やはり相当なストレスの中、体調を崩されることもしばしば発生している状況です。

 

 

同じように、バッシングを受けやすい芸能人であれば、記者会見で弁明したり、あるいは提訴という手段で反撃することも可能です。

 

違法ですが、ビートたけしのフライデー襲撃事件のように、最終手段として暴力を使ってでも反論する姿勢を表現することもあります。

 

しかし、皇族のみなさまには、弁明も提訴も不可能です。

国民の権利を有していないため、です。

 

これは正しい姿なのでしょうか。

改善できるポイントはないのでしょうか。

 

 

 

 TODAY'S
 
皇族の人権と国民の願い

 

美空ひばり松田聖子も、まぶしい存在の方は同時に嫉妬や羨望の対象となり、必ずバッシングされてきました。

 

 

 

 

 

しかし、彼女らがそれを乗り越えた時、人々は手のひらを返して称賛し、畏怖の念を抱きます。

 

おかしなことに、自分がバッシングしたこともすっかり忘れて。

 

 

 

 

  皇族の人権

 

皇族には「国民の権利や自由」がありません。

 

参政権も社会保障もありません。

職業選択の自由も、婚姻の自由も、居住地選択の自由も、表現の自由もありません。

 

生まれながらに民間人だった、上皇后さま、皇后さま、紀子さまが大きなストレスを受けられるのも、これらの自由が制限され、喪失感はとんでもなく大きなものであることが想像できます。

 

皆さまが、それらの自由を犠牲にしてでも得られるもの、とはいったい何なのでしょうか。

 

 

 

  「やっていただいている」という気持ち

 

我々国民が皇族の皆様に期待していることは、

 

権力とは無縁の無垢さ、高潔さ

 

だと、社会学者で国学院大学教授の水無田気流(みなした・きりゅう)さんは仰っています。

 

 

 

秋篠宮家が今特にバッシングを受けやすいのは、お子様の進学先やお嬢様の結婚相手、自宅の改装費用、といった、国民にもわかりやすい話題で、週刊誌の格好の餌食となってしまうから、ではないでしょうか。

 

お相手の家柄の過去の出来事、とか、裏口?だとか、●億円!とか。

 

どうしても「生々しい」話題になり、とても「権力とは無縁の無垢さ、高潔さ」からはかけ離れてしまう事が一因かと思います。

 

しかし、反論を表現する手段を持たない皇族の皆様に、一方的にイエローカードやレッドカードをつきつけるのは、どう考えてもアンフェアだと、私なんかは思っちゃいます。

 

ちゃんとVARみて判定したのか?と。

 

「税金で養ってやっているグラサン

 

というおごり高ぶった気持ちが、一部の国民の中ではあふれ出ているのでしょう。

 

もちろん、井戸端会議程度に議論するぐらいであれば、情報公開が進んだ皇室にとっても必要悪、ぐらいだとは思います。

 

皇室について、批判は1mmも許さない、だと、あまりにも窮屈で、戦前の特高警察などの、こわばった空気を想起するからです。

 

しかし世の中には、度を越えたもの、といえるものがあふれかえっています。

 

DNA鑑定しろとか、替え玉説、とか。

 

私はそれはとても恥ずべき行為、だと考えます。

 

お三方とも、上皇さま、今上陛下、秋篠宮様から求婚された時は、とまどいもあり、できれば断りたい、というお気持ちがあったことは事実でしょう。

 

しかしながら、熱心なプロボーズに加え、それらの自由を犠牲にしてでも、日本のために、皇室のために、という一大決心の元、民間から皇室に入られたのも、また事実のはずです。

 

われわれは、民間から皇室に入られた女性たちも含め、皇室の皆様には、

「天皇、および皇族をやっていただいている」

という謙虚な気持ちが必要なのではないでしょうか。

 

 

 

  皇后雅子さまが成し遂げようとしていること

 

そんな、不自由な皇族としての暮らしをされていても、皇后雅子さまは今まさに、国民から大絶賛され、光り輝く存在になられようとしています。

 

北原みのりさんの記事の中で、とても素晴らしい名文デレデレとでもいえるものがありましたのでご紹介します。

 

 

 

 

 

もし世論の声がさらに大きくなり、女性天皇論への道が開かれるならば、それこそ、雅子さまが人生をかけてこの国の皇室を「変えた」ことになるだろう。

 

雅子さまが大きな意味で報われる、大きな意味でこの国の皇室を変える、そういう「結末」を私たちは見たいのかもしれない。

 

 

ブラボー!!デレデレデレデレデレデレ

 

 

 

雅子さまは陛下と共に、人生をかけて、権力とは無縁の無垢さ・高潔さを兼ね備えた愛子さまという、人類の奇跡と言ってもよいお方をここまで立派に育て上げられました。

 

 

 

この結末を迎えた時、

人々(※ダンケーカルト含む)は手のひらを返して称賛し、畏怖の念を抱くことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

愛子さまが皇太子になるべき理由 その76

 

皇后雅子さまが、国民の自由と権利を犠牲にしてでも皇族の一員となり、愛子さまという"地球の奇跡"を育て上げられた事実。

 

愛子天皇への道筋がつけられることで、雅子さまの偉業が昇華されるさまは、日本国民が夢にまで見る、至高のミラクルストーリーではないだろうか。