愛子さまが皇太子になるべき100の理由No.73
国会議員の重鎮が集まり、「安定的な皇位継承のあり方」についての協議が5/7に開始されました。
今日が6/2ですが、ここまで約1ヶ月、めまぐるしく動きましたね。
有識者会議があらかじめ提示していたのが以下2案です。
1.皇族の女子が結婚後も皇室に残り、将来的な夫と子は国民のままとする、中途半端な女性宮家案
2.旧宮家男系男子の皇籍取得ができるようにする案
国民の恋闕の情の芽生え
公明、維新、国民民主以外の代表的な政党へ、大きな影響を与えたのが、間違いなく4/27の共同通信社による世論調査でしょう。
自民党も、かつて総裁候補まで上がっていた船田元議員が、4/30に有識者会議の2案に異議を唱えました。
安定的な皇位継承を議論する有識者会議や自民党の懇談会は、男系の男性天皇だけでなく、男系の女性天皇、女系の男性天皇、女系の女性天皇の可能性を排除せず、恒久的な皇位継承の安定化につなげるべきである。
ブラボー!!
自民党内には、女系天皇容認論を公言している、野田聖子議員や石破茂議員がいます。自民党内の空気が変われば、一気に国会が動く可能性も、まだ残っています。
恋闕(れんけつ)の情
闕(けつ)とは皇居の門のこと、です。
つまり恋闕とは、国民が天皇陛下に対して、深く敬い慕う、尊皇の心のことです。
私は、もはや国民の多くがこの「恋闕の情」を愛子さまに持ち始めているのではないか、と考えます。
かつて、昭和天皇が戦後、地方を行啓された際、至る所で日本人が感涙し、万歳を三唱していました。
このようなエピソードも残っています。
1949年(昭和24年)5月22日の佐賀県三養基郡基山町の因通寺への行幸では、ソ連による抑留下で共産主義思想と反天皇制(天皇制廃止論、君主制廃止論の一つ)を教え込まれ洗脳されたシベリア抑留帰還者が、天皇から直接言葉をかけられ、一瞬にして洗脳を解かれ「こんなはずじゃなかった、俺が間違っておった」と泣き出したことがある。
先の大戦において、昭和天皇に対する評価は、さまざまな立場の人によって分かれていることは承知していますが、それを含めて、戦後の貧困状況において、日本人が奇跡の復興を遂げたのも、昭和天皇の存在が大きかったのは事実かと思います。
多くの人が、肉親を失い、悲しみの中でも天皇陛下を敬い、歯をくいしばれたのも、昭和天皇への恋闕の情を抱いていたからではないか、と思います。
愛子さまへのまなざし
人々の、愛子さまへのまなざしは、先日の園遊会の時に映し出された、招待客の方のまなざしと、ほぼ同じなのではないでしょうか。
天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれました。長女愛子さまが初めて出席し、招待された各界の功労者たちとにこやかに言葉を交わされました。
— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) April 23, 2024
写真特集→https://t.co/Df3XFbY9FC pic.twitter.com/2ew3qPauTD
もちろん、命のやりとりを通して、激動の時代を生き抜いた昭和天皇と国民との絆ほどのレベルには達していないと思います。
しかしながら、最後の女性天皇である後桜町天皇の時代から約250年あまりの時を経て、国民が女性天皇の復活を臨む機運は、明らかに高まっています。
このような声が、国民の側からどんどん上がってきている現在、もはや国民の間では「恋闕の情」が萌芽している、といえる状況になっているのではないでしょうか。
私自身、日本の未来に愛子さまが天皇として即位していただく未来を想像するだけで、ものすごくハッピーな気持ちになれてしまいます。
この感情を「恋闕の情」と呼ぶにふさわしいのか、私にはまだわかりませんが、ちょっとそのへんの高揚感とは次元が違う悦びの気持ち、というものが、心の奥底に沸々と沸き出てきていることは事実なのです。
愛子さまが皇太子になるべき理由 その73
愛子天皇誕生で日本に明るさと希望が戻る。
このことを想像するだけでワクワクしている日本人が、日本中で増殖中なのではないだろうか。
国民の恋闕の情の萌芽を摘み取ろうとしている、政権与党や自称保守政党たちの暴走を、一刻も早く止めないとまずい状況であることは間違いない。