愛子さまが皇太子になるべき100の理由No.57
自民党案も提出され、いよいよGW明けから、国会で皇位継承問題が話し合われることになりました。
彼ら自称保守政党(自公維国)が立案する皇位継承方法を、不等号で表現すると
男系>直系
となるかと思います。
今上陛下の直系長子である愛子さまよりも、傍系の悠仁さま、そしてさらには天皇の血筋から600年以上も離れている男系の血筋を優先するからです。
男系よりも直系を優先した事例
男系よりも直系を優先した事例が、後期の江戸時代にもあったようです。
前回に続き、またまた森鴨平先生の記事の引用になります。
男系、女系というのは、排他的なものではなく、補完的な関係にあるのだと思います。そのことは歴史を仔細に見ないと分からないのです。https://t.co/VPTyUM3wxr
— 森暢平 (@mori_yohey) April 23, 2024
「女系重視の前例もある 江戸時代の『皇位継承』論理」--。… pic.twitter.com/orNv4tlzID
この家系図においても、右から優先して皇位継承を行おうとしたのです。
この元となる記事がこちらです。
家系図を見ながら読んでいくと、スッと頭に入ってきます。
忙しい人のために簡単に要約すると、、
傍系であることにコンプレックスを持っていた光格天皇・仁孝天皇は、子孫をなるべく直系(中御門系)に近づけようと、以下4つの努力がありました。
- 光格天皇と中御門系最後の遺児である欣子(よしこ)との子、皇太子の温人(ますひと)が夭折した後、側室との子である恵仁(あやひと)をすぐに皇太子とせずに、欣子の第二子誕生を待った→男系よりも女系による直系を優先した。
- 正室である欣子が側室の子である恵仁を実子として擬制して育てるも、メンタル不調(そりゃそうだ)→直系である中御門系皇統の連続性を擬制にて強調した。
- 仁孝天皇に安仁(しずひと)が誕生するも、異母弟である欣子の第二子悦仁(としひと)を皇位継承者として優先した。→男子直系より女系による中御門系との関係を重視した。
- 先例を破り、仁孝天皇は2代連続で鷹司家(たかつかさけ)から后を入内させた→中御門系へ血筋を寄せることを優先した。
まとめると、男系女系しゃらくせー!です。
すぐに幼児が夭折し、后も出産時に死去する時代、男系にこだわっていたら、皇統からの血統がますます薄くなったり、断絶するリスクも考えられるため、女系であっても、天皇家直系への血筋から遠ざけないよう、考えに考え抜いて皇位継承を行った、というのが事実のようです。
森先生はこうおっしゃっています。
天皇から親等が離れれば当然、血統は薄くなる。仁孝天皇は、「女系」によって「血の補充」をしなければ、正統性が薄いと考えられていたのである。
ブラボー!
愛子さまが皇太子になるべき理由 その57
男尊女卑が顕著な武家社会である江戸時代であっても、男系を優先するという観念は薄く、直系にできるだけ寄せる方を優先していた事実。
この事実を見て、明治政府によって明文化された「男系男子継承」のみに囚われるのはおかしいことがわかる。
皇位継承は、天皇家の血筋に近い所から行うのが歴史の事実。
よって、自称保守政党が切り札にしている「旧ナントカ系男子の皇籍取得」は、突拍子もなく間抜けで、ただひたすらに愚策としか言いようがないものなのである。