愛愛子さまが皇太子になるべき100の理由愛No.53

 

昭和天皇の弟君であらせられた三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)

(1915年〈大正4年〉12月2日 - 2016年〈平成28年〉10月27日)

 

大正天皇の4番目のお子様(末弟)であり、皇位継承の可能性が低かったことから、それなりに自由を堪能し、思ったことは自由に発言されていたようです。

 

1941年 百合子さまとの結婚の儀のお写真

 

2016年に薨去(こうきょ)されたときには、御年100歳。

とってもご長寿だったんですねびっくり

 

 

1950年代後半から「紀元節」の復活(2月11日を建国記念日とする動き。神武天皇が建国したことに対して)への動きが具体的なものになってくると、、

 

考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。  wikiより

として、合理的な意見も持ち合わせていたようです。

 

私は、皇族なのに言うべきことをはっきりという方だな驚き、という印象を受けました。

 
結局反対したにもかかわらず、ご存じの通り2月11日は建国記念日日本として制定され、今日に至っています。
 
 
そんな三笠宮崇仁親王、じつは女帝に対して、とても現実的で合理的な意見を、過去表明されたことがあったのです。
 
 

 TODAY'S
 
三笠宮さまの予見

 

昭和21年11月3日は、何の日かご存じでしょうか?

 

日本国憲法が公布された日、です。

 

今では、文化の日日本としてすっかり定着していますね。

 

この日、三笠宮さまは、

 

新憲法と皇室典範改正法案要綱(案) 

 

と銘打って、新憲法における皇室典範のありかたについて、実に合理的な意見を表明されています。

 

 

 

とても長文ですが、皇位継承問題にも触れられているので、お時間ある時にぜひ一読されることをお勧めします。

 

なんといっても、皇族が政治的発言を事実上封じられる日チーンに打ち出された意見書ですので、今となってはとても貴重なものなのではないでしょうか。

 

 

今日は、この中で「女帝」の在り方について触れられたところを抜粋してご紹介します。

 

その前段に、新憲法の中で皇室典範に関係ある所をA~Gまで7つ列挙されていました。

 

【D】すべて国民は法の下に平等であつて人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係において差別されないこと

憲法14条の抜粋ですね。

このことを踏まえて、女帝について語られています。

 

↓↓

 

女帝について

先(ま)づ問題になるのは女帝を認めないことと【D】との関係であらう。純粋に【D】を解釈すればどうしても女帝を認めねばならぬ

 

 

 

ここでは、国民が性別によって差別されないと憲法で定められた以上、女帝は認めなければいけない、という前提のようですね。

 

 

 

しかし之については私は現在としては政府案で結構と考へる。その理由として法律論でない実際論から一つだけ述べておく。今の女子皇族は自主独立的でなく男子皇族の後に唯追随する様にしつけられてゐる。之は決して御本人の罪ではなく周囲が悪いのであるが之では仮令象徴でも今急に全国民の矢表に立たれるのは不可能でもあり全くお気の毒でもある。其の上天皇を補佐すべき各大臣が皆男子である。従つて当分女帝は無理と思はれる

 

 

1946年時点では政府案(男系男子)のままで、が良いようです。

 

当時、皇女と呼ばれる方がいらっしゃいましたが、大戦の最中、女帝に立つ前提での教育は当然受けていらっしゃいませんでした。

 

いわゆる、帝王学、っていうやつです。

 

そもそも、明治以降「男系男子継承」が皇室典範に規定されていましたので、上記のような見解になるのは、時代背景を考えると仕方のないことだったのでしょうちょっと不満

 

 

 

が何と考へても【D】は全世界に共通の傾向であり今や婦人代議士も出るし将来女の大臣が出るのは必定であつて内閣総理大臣にも女子がたまにはなる様な時代になり、一方今後男女共学の教育を受けた女子皇族が母となつて教育された女子皇族の時代になれば女子皇族の個性も男子皇族とだんだん接近して来るであらうからその時代になれば今一応女帝の問題も再研討せられて然るべきかと考へられる。

 

 

教育の問題さえ解決すれば、女帝も再検討すべき、と書かれています。

 

 

 

!!!

 

 

なんと素晴らしい先見の明でしょうか!

 

 

 

 

 

そして、みなさん、お気づきでしょうか。

 

 

 

 

アレです。

 

 

 

 

 

 

アレが出てこないのです。

 

 

 

 

 

 

なんだと思います?

 

 

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「男系継承」という単語が一切出て来ないのです。

 

 

 

 

ミアタラナイヨ!

 

 

 

 

この意見書自体、皇位継承について、かなり詳しく突っ込んで記載されていますが、男系継承については一切触れられていません。

 

なぜでしょうか。

 

それは、三笠宮さまが男系継承に全く興味がなかったから、ではないでしょうか。

 

そして、きちんと帝王学を学べば、いずれは女帝の問題も再検討されて然るべき、とはっきりと記載されています。

 

 

ブラボーですね。

 

 

帝王学を現在進行形でしっかり学ばれている愛子さまの存在を、この時点で予見していたのでしょうか。

 

 

 

女帝に関してもそうですが、さらにこの意見書では、

 

 

  • 皇室典範の改正を国会にゆだねるのは不安だ
  • 天皇に譲位の権利を与えるべき
  • 皇族にも婚姻の自由を認めるべき
  • 皇族は被選挙権を絶対に与えてはいけない

 

といった、とても合理的で、皇族の悲痛な叫び、ともいえるものも読み取ることができます。

 

この意見書が、長男の寛仁親王(ヒゲの人)にも大いに影響を与えたのだろうな、と容易に想像がつきます。(男系男子の部分だけは別でしたが)

 

 

いずれにせよ、示唆に富む意見書であることには間違いありません。

 

 

 

愛子さまが皇太子になるべき理由 その53

 

今上陛下の大叔父でもある三笠宮崇仁親王は、日本国憲法公布の段階で、庶子(非嫡出子)継承の可能性がない以上、女帝の検討が必要であることを既に認識していた。

 

そして、帝王学を学ばれている愛子さまを、我々はありがたくもいただくことができた。

 

21世紀は間違いなく女性天皇が復活する時代になる。

 

約80年前に既に予見されていた三笠宮さまの先見の明に、驚きの念を隠せない。