愛愛子さまが皇太子になるべき100の理由愛No.38

 

愛子さまの伊勢神宮と神武天皇陵への参拝、日本中がフィーバーしていますね。

この過熱ぶりとは裏腹に、国会議員は「愛子天皇」がタブーになっていて、なぜか委縮しています。

 

当blog含め、ネットやX、週刊誌ではしきりに愛子天皇論が盛んであるにもかかわらず、新聞紙や国会は、弱みでも握られているのでしょうか。

言論の自由がないのでしょうか。情けない限りです。

 

 

 

 TODAY'S
 
女帝の婚姻についての議論

 

さて、今日は女帝の婚姻について書いておきたいと思います。

 

昨日からの愛子さま×伊勢神宮フィーバーに焦ったのか、X上では、ダンケーカルトたちがしきりに、愛子天皇が独身を強制されることになるが、それでもよいのか?とまたおかしな言論を始めています。

 

 

 

全く歴史を知らないな。

 

このオタンコナスめ!(゚д゚)!

 

 

  明文化されたルールはない

 

 

女帝は一生独身の義務がある事を知らない人とか、男女問題に絡める人多いですね。

 

そんな義務はありません。どこかに明文化されているのか?ムキー

 

 

と問い詰めたところ、

 

 

そんなルールはない、という事を認めました。

 

そのあと、ゴニョゴニョ言っていますが、時間の無駄なのでミュートにしました。

 

便所の落書き消しは、まだまだ続きます。真顔

 

 

  即位前に婚姻していた女帝は4名

 

即位前に婚姻し、子をもうけていた女帝は4名います。

4名とも配偶者が死別した後即位しています。

既に自身の後継者のあたりはつけているので、再婚すると別の子が生まれ、いらぬトラブルになります。

このため、そもそも再婚の必要がなかったのです。

 

「女帝は一生独身の義務がある」は印象操作であり、真っ赤な嘘、ということになります。

 

 

以下、過去の私のblogからの再掲です。

 

 

 

①第33代 推古天皇 

554年生

在位592年~628年

571年 17才の時に敏達天皇と結婚 2男5女をもうける

585年 敏達天皇が亡くなる

592年 即位された時点で38才

 

既に子供もいて、激務の中、再婚する必要性は全くありませんでした。

現在の物差しで、結婚しなかった、というのは詭弁ムキーッです。

 

②・③ 第35代 皇極天皇 37代 斉明天皇

594年生。

在位642年~645年、655年~661年

先代/舒明天皇のキサキ。

641年に舒明天皇が亡くなり、642年に即位。

この時48才。3人の子がいる。(天武、天智含む)

この後、再婚しなかったのは、推古天皇と同じ理由でしょうね。

そもそも再婚する必要がない。

 

④第41代 持統天皇

645年生。

在位690年~697年

先代/天武天皇のキサキ。

686年に天武天皇が亡くなり、実権を掌握。

この時31才だが、息子の草壁皇子を後継者に定めていて、再婚の必要性なし。

 

⑤第43代 元明天皇

661年生。在位707~715年。

草壁皇子のキサキ(妃)。707年に、息子の文武天皇が亡くなり、実権を掌握。この時47才。再婚の必要性なし。

 

 

愛子さまが即位するとすれば、現在64歳の今上陛下が上皇陛下を倣い、85歳で生前譲位するとするとして、今から21年後の2045年となります。

 

愛子さまはその時、43歳です。

 

恐らくそれまでに結婚されているのではないでしょうか。

男女問わず、お子様もいらっしゃればなおよいですね。

 

 

 

  女性の血統を優先した事例:継体天皇

 

もうひとつ、皇統は男系でつながれており、皇統外の男は入れてはいけない、というカルト教義についても掃除しておきたいと思います。

 

「皇統を護る」のが、皇族の務めですから。 「皇統外の男を入れない」のが責務です。

本当でしょうか?

 

第26代継体天皇について、触れておきたいと思います。

カオデカイネ、キミ

 

先代(25代:武烈天皇)が子のないまま崩御してしまい、日本史上最大の皇位継承の危機が6世紀にやってきました。

 

そこで、近江から、一応天皇の血筋らしい?有能な豪族の男性を連れてきて、天皇に擁立しました。それが、継体天皇、です。

 

歴史上、最も離れた皇位継承の例で、第15代応神天皇の5世子孫と伝えられています。子を「1世」と数えるので、「5世子孫」とは、「玄孫の子」になります。

 

150年ぐらい離れないと、天皇の祖先にたどり着きません。

 

そんなもん、ただのおっさん です。

(能力は高い有能な天皇だったようです。)

 

また、本当は応神天皇の子孫ではなかった説、もあります。

応神天皇5世孫というのは自称に過ぎず、実際は近江や越前といった地方出身の、それまでの王統の血をひかない有力豪族が20年かけ、大和にいた反対勢力を制圧し即位したのではないか、という説もある。

継体天皇 - 歴史まとめ.net (rekishi-memo.net)

 

 

やっすい居酒屋の呑み放題の、うっすいハイボールジュース、もしくはただのソーダみたいなもので、ヤマトの官僚たちにはあまり受け入れられなかったようです。

 

政治の中心地であったヤマトの地には入れてもらえず、周辺の「山背筒城:京都府京田辺市」や「弟国:京都府向日市・長岡京市」に20年間ほどいたそうです。

 

その継体天皇の格を上げるために、高貴な女性の入り婿としました。

 

「手白髪命:たしらかのみこと」

24代・仁賢天皇の皇女です。

 

サントリー 山崎12年、オンザロックですロックグラス

 

継体天皇を格上げし、皇統を守ったという事になります。

 

これって、皇統外の男を入れていますよね?

 

古代の天皇は男系の血筋だけではなく、女系の血筋も尊重されていた!

特にこれらの場合は、男系の血筋の不足を女系の血筋で「格上げ」することで、やっと皇位に就くことができた。

それが日本における「男系継承」の実態というものなのだ。

小林よしのり「新・天皇論」p188より

 

 

 

  まとめ

 

  1. 女帝は独身でなければいけない、は真っ赤な噓
  2. 過去の女帝の多くは即位前に婚姻されていた
  3. きわめて血統が薄い、もしくは全く皇統外の可能性がある天皇を、女性の血統で格上げしたことがある
 
以上3つの理由により、愛子さまが立太子された後も、全く自由に結婚することが可能です。
 
愛子さまが、馬鹿なダンケーカルトがいうような、お相手は旧皇族かどうか?、に縛られることなく、自由に結婚していただきたい(もちろんしない自由も受け入れます)、と私は考えます。
 
 
 

愛子さまが皇太子になるべき理由 その38

 

旧皇族の男系男子が皇族に入る論が非現実的であることがわかり、愛子さまは独身を通さなければならない、という不敬・失礼・オタンコナスなことをダンケーカルトは言い始めた。

 

ロジックも何もなく、単に女性天皇を認めたくないだけの、印象操作である謎ルールは、完全に論破されている。

 

愛子さまは自由恋愛が可能であり、立太子を躊躇する障壁は何もない。

入り婿を迎えて次の代の天皇になることが可能なのである。