愛子さまが皇太子になるべき100の理由No.38
愛子さまの伊勢神宮と神武天皇陵への参拝、日本中がフィーバーしていますね。
この過熱ぶりとは裏腹に、国会議員は「愛子天皇」がタブーになっていて、なぜか委縮しています。
当blog含め、ネットやX、週刊誌ではしきりに愛子天皇論が盛んであるにもかかわらず、新聞紙や国会は、弱みでも握られているのでしょうか。
言論の自由がないのでしょうか。情けない限りです。
女帝の婚姻についての議論
さて、今日は女帝の婚姻について書いておきたいと思います。
昨日からの愛子さま×伊勢神宮フィーバーに焦ったのか、X上では、ダンケーカルトたちがしきりに、愛子天皇が独身を強制されることになるが、それでもよいのか?とまたおかしな言論を始めています。
女帝は
— Maroon (@MaroonLimitedEx) March 27, 2024
一生独身の義務がある事を
知らない人とか、
男女問題に絡める人多いですね。
そんな緩い伝統ではないのに。
江戸時代の明正天皇♀は10歳未満で即位して、
公家も徳川幕府も婚姻できないのは
当然の前提で話をして、
婚姻の議論さえもないですからね。
明正帝の母は秀忠の娘なのに。
全く歴史を知らないな。
このオタンコナスめ!(゚д゚)!
明文化されたルールはない
女帝は一生独身の義務がある事を知らない人とか、男女問題に絡める人多いですね。
そんな義務はありません。どこかに明文化されているのか?
明正天皇の一例をとらえて、全ての女帝に当てはめるのは、論理が成り立ちませんね。
— パラノイアOnザロック (@af3OP9yMpTpCHBR) March 27, 2024
既婚で子もいて、死別後即位した推古、皇極(=斉明)、持統、元明をどう説明しますか?
独身の義務、以前に、婚姻の必要性がそもそもありませんよ。勝手なルールを作ろうとしているのがミエミエですよ。
と問い詰めたところ、
では明文化されたルールはない、ということで。
— パラノイアOnザロック (@af3OP9yMpTpCHBR) March 27, 2024
議論とお時間をありがとうございました。
暗黙のルール、不文律のルールは、あなたたちの中だけで運用してください。
そんなルールはない、という事を認めました。
そのあと、ゴニョゴニョ言っていますが、時間の無駄なのでミュートにしました。
便所の落書き消しは、まだまだ続きます。
即位前に婚姻していた女帝は4名
即位前に婚姻し、子をもうけていた女帝は4名います。
4名とも配偶者が死別した後即位しています。
既に自身の後継者のあたりはつけているので、再婚すると別の子が生まれ、いらぬトラブルになります。
このため、そもそも再婚の必要がなかったのです。
「女帝は一生独身の義務がある」は印象操作であり、真っ赤な嘘、ということになります。
以下、過去の私のblogからの再掲です。
①第33代 推古天皇
554年生
在位592年~628年
571年 17才の時に敏達天皇と結婚 2男5女をもうける
585年 敏達天皇が亡くなる
592年 即位された時点で38才
既に子供もいて、激務の中、再婚する必要性は全くありませんでした。
現在の物差しで、結婚しなかった、というのは詭弁です。
②・③ 第35代 皇極天皇 37代 斉明天皇
594年生。
在位642年~645年、655年~661年
先代/舒明天皇のキサキ。
641年に舒明天皇が亡くなり、642年に即位。
この時48才。3人の子がいる。(天武、天智含む)
この後、再婚しなかったのは、推古天皇と同じ理由でしょうね。
そもそも再婚する必要がない。
④第41代 持統天皇
645年生。
在位690年~697年
先代/天武天皇のキサキ。
686年に天武天皇が亡くなり、実権を掌握。
この時31才だが、息子の草壁皇子を後継者に定めていて、再婚の必要性なし。
⑤第43代 元明天皇
661年生。在位707~715年。
草壁皇子のキサキ(妃)。707年に、息子の文武天皇が亡くなり、実権を掌握。この時47才。再婚の必要性なし。
愛子さまが即位するとすれば、現在64歳の今上陛下が上皇陛下を倣い、85歳で生前譲位するとするとして、今から21年後の2045年となります。
愛子さまはその時、43歳です。
恐らくそれまでに結婚されているのではないでしょうか。
男女問わず、お子様もいらっしゃればなおよいですね。
女性の血統を優先した事例:継体天皇
もうひとつ、皇統は男系でつながれており、皇統外の男は入れてはいけない、というカルト教義についても掃除しておきたいと思います。
「皇統を護る」のが、皇族の務めですから。 「皇統外の男を入れない」のが責務です。
本当でしょうか?
第26代継体天皇について、触れておきたいと思います。
先代(25代:武烈天皇)が子のないまま崩御してしまい、日本史上最大の皇位継承の危機が6世紀にやってきました。
そこで、近江から、一応天皇の血筋らしい?有能な豪族の男性を連れてきて、天皇に擁立しました。それが、継体天皇、です。
歴史上、最も離れた皇位継承の例で、第15代応神天皇の5世子孫と伝えられています。子を「1世」と数えるので、「5世子孫」とは、「玄孫の子」になります。
150年ぐらい離れないと、天皇の祖先にたどり着きません。
そんなもん、ただのおっさん です。
(能力は高い有能な天皇だったようです。)
また、本当は応神天皇の子孫ではなかった説、もあります。
応神天皇5世孫というのは自称に過ぎず、実際は近江や越前といった地方出身の、それまでの王統の血をひかない有力豪族が20年かけ、大和にいた反対勢力を制圧し即位したのではないか、という説もある。
継体天皇 - 歴史まとめ.net (rekishi-memo.net)
やっすい居酒屋の呑み放題の、うっすいハイボール、もしくはただのソーダみたいなもので、ヤマトの官僚たちにはあまり受け入れられなかったようです。
政治の中心地であったヤマトの地には入れてもらえず、周辺の「山背筒城:京都府京田辺市」や「弟国:京都府向日市・長岡京市」に20年間ほどいたそうです。
その継体天皇の格を上げるために、高貴な女性の入り婿としました。
「手白髪命:たしらかのみこと」
24代・仁賢天皇の皇女です。
サントリー 山崎12年、オンザロックです。
継体天皇を格上げし、皇統を守ったという事になります。
これって、皇統外の男を入れていますよね?
古代の天皇は男系の血筋だけではなく、女系の血筋も尊重されていた!
特にこれらの場合は、男系の血筋の不足を女系の血筋で「格上げ」することで、やっと皇位に就くことができた。
それが日本における「男系継承」の実態というものなのだ。
小林よしのり「新・天皇論」p188より
まとめ
- 女帝は独身でなければいけない、は真っ赤な噓
- 過去の女帝の多くは即位前に婚姻されていた
- きわめて血統が薄い、もしくは全く皇統外の可能性がある天皇を、女性の血統で格上げしたことがある
愛子さまが皇太子になるべき理由 その38
旧皇族の男系男子が皇族に入る論が非現実的であることがわかり、愛子さまは独身を通さなければならない、という不敬・失礼・オタンコナスなことをダンケーカルトは言い始めた。
ロジックも何もなく、単に女性天皇を認めたくないだけの、印象操作である謎ルールは、完全に論破されている。
愛子さまは自由恋愛が可能であり、立太子を躊躇する障壁は何もない。
入り婿を迎えて次の代の天皇になることが可能なのである。