この記事は旧ブログ【鳥飼の自由研究室】(2020年1月24日の記事)より転載(再掲載)しました。

こんばんは、鳥飼S子ですニコニコあせる

今回の記事は前回の記事の続きになります。


4F 消防の変遷
明治から昭和にかけて、消防は大きく変わりました。機械化、組織の近代化によって消防機能はますます充実していきました。時代の風俗を織り混ぜながら消防の移り変わりをたどります。

明治維新に伴い、江戸時代の大名火消や定火消は廃止になりました。町火消は東京府に移管され、明治5年(1872年)に消防組へ改組。その後、東京府・司法省警保寮等を転々とし、明治14年(1881年)東京警視庁へ事務移管され、これが明治時代の消防の基礎になったといわれています。当時はまだ全国的に公設の消防組は少なく、自治組織として細々と活動していたようです。明治27年(1884年)に勅令で政府が「消防組規則」を制定し、消防組は知事の警察権に入り、費用は市町村が負担することとされました。

大正時代に入ると、国内の治安を維持する警察の補助的な役割を担いながら急速に整備されていきましたが、常設の消防組織はまだ東京と大阪の二ヶ所のみ、という有り様...。そこで大正8年(1919年)勅令「特設消防署規定」により横浜市・名古屋市・京都市・神戸市の4都市に公設消防組織が設置されました。また、大正12年9月1日に関東大震災があり、消防の重要性が改めて浮き彫りになった時代でもありました。

昭和(戦前)に入ると国際情勢の変化や時局の逼迫(悪化)に伴い、日本各地に公設消防署が次々と設置されるようになりました。消防組はそれまでの火災や災害への対応だけでなく、防空という任務が新たに加えられることになり、警防団と名称を変え、防空監視や空襲爆撃下の救護活動も担うようになったそうです。

敗戦に伴い、警防団は「消防団令」により消防団として再出発します。警察機構の中に位置付けられていた消防組織は「地方自治法」と「消防組織法」により、各市町村が消防組織の運営と管理にあたることになりました。昭和38年(1963)年には救急業務が法令化され、救急体制の整備が進み、現在の消防の姿へとつながっていきます。
馬牽き蒸気ポンプ
消防用蒸気ポンプがイギリスで普及したのは、1860年代のことです。日本では明治3年(1870年)に最初の蒸気ポンプを輸入(購入)しています。その後、輸入したり国内で作られたりした蒸気ポンプは15台に達しました。この展示車は明治32年(1899年)に作られた国産車になります。
この蒸気ポンプは石炭で火を起こしてから放水に必要な蒸気圧力が得られるまで、約20分を要したそうです💦
国産腕用ポンプ(乙号)
大正6年頃から、小岩消防組第8部が使用していたものです。その性能は1分間の吸引水量が234リットル、水力は高さ23メートルでした。

明治から大正初期にかけて、消防ポンプは馬や人力で運んでいたのですね。驚きです💦
消防ラッパ
明治13年(1880年)火災現場で消防隊の進退の合図に、ラッパを使用することになりました。半年後に一時的に中止され、6年後に復活しました。現在では使うことはほとんどありませんが、昭和29年(1954年)の消防ラッパ譜の制定により、受け継がれています。

当時は現在のような連絡手段(無線通信)はありませんでしたから、ラッパ音で指揮を執ったり意思疎通を図ったりしていたのでしょうね。
時代を感じます...凝視💦
明治時代の消防官制服(写真右)
明治13年(1880年)消防事務が内務省警視局のもとに創設された消防本部の所管となり、この時初めて今日の消防吏員にあたる消防官が採用されました。当時の消防官は、火災出場の際も制服で活動しました。

明治時代の出場用帽覆(写真左)
明治24年(1891年)当時の消防司令長が着用していた防火衣・防火帽です。素材は絨(厚手の毛織物)で色は黒及び紺色、防火帽は羅紗で白色でした。

制服も出動用帽覆も、明治らしいレトロなデザインですねニコニコステキ〜♥
消防手の制服(複製)
大正7年(1918年)に制定された消防手の夏の制服です。明治に入り、消防に従事する者を消防卒と呼んでいましたが、明治14年(1881年)処務規程が定められ、消防卒は消防手に改められました。
警防団の制服(戦前~戦時下)
非常時だからでしょうか、黒くて物々しいデザインですね💦
帽子がヘルメットに変化しました。
防火被服(写真左)
昭和42年(1967年)に熱防護性を高めるため、表面にアルミ粉末入合成ゴムをコーティングした防火衣が採用されました。

防火被服(写真右)
昭和51年(1976年)には難燃性を高めるため芳香族ポリアミド繊維生地の表面にアルミ粉末入合成ゴムをコーティングした防火衣を採用し、反射テープをつけて安全性を高めました。

一般的に、この制服(防火被服)=消防士のイメージなのではないでしょうかにっこり

最近はこのタイプの防火被服は少なくなってきているそうです。
ドレーゲル式酸素呼吸器
耐火建物等の火災に対応するため、昭和26年(1951年)、それまでの濾過式防煙具に代わりドレーゲル式呼吸器が採用されました。酸素ボンベによる定量補給式の圧縮酸素型の循環式呼吸器で、約1時間使用することができます。

酸素ボンベってとても重そうですよね💦

ちなみに防火衣は約10kg、酸素ボンベは約11kgあるといわれています。これにロープや無線機、防火帽(ヘルメット)を合わせて、全体で25kg~30kgにもなるそうです。

5Fから4Fで、江戸時代~昭和にかけての日本の消防の歴史を駆け足で学ぶことができましたウインク
消防車両も装備品も、その時代を反映していて興味深いと思いませんか?

3F 現代の消防
現代の消防はさまざまな災害から生命や財産を守るために広く活動しています。ここでは消火・救急活動を映像と模型のショーステージにより学べるほか、東京消防庁の最新の取組みを紹介しています。

このフロアは子どもも楽しめる展示物が多く、オススメですにっこり
演奏服(夏・冬)
警察や自衛隊だけでなく、実は消防にも音楽隊が存在します。音楽の演奏を通じて市民と消防との融和をはかり、消防活動の広報を目的としています。警察や自衛隊とは違い(東京消防庁や政令指定都市の12の消防局を除き)一般の職員(消防吏員)が通常業務と兼ねている兼務隊がほとんどです。そのため、各消防局・消防本部により演奏曲や演奏技術にはかなり差があるのが実情です。
演奏曲はShow Me Your Firetruck(映画バックドラフトのテープ曲)や歌謡曲、アニメソング等、親しみやすいものが多いようです。
この楽器は旧日本海軍から譲り受けたもの。
消防と旧日本海軍の関係については、アメンバー限定記事で書けたらと思っていますニコニコ💦
消火活動
現在、消火活動に使用されている防火衣やホース、管槍(かんそう)、破壊用具等の展示です。
間近で見るのは初めてなので、興奮します!
現在の防火衣はこちらのカーキ色のものが主流のようです。
救助・救急活動
救急や救急の現場で使用されている道具の展示です。救助というと、やはりロープやカラビナ、工具のような道具が多いんですね。救急はAEDや聴診器、点滴、救命用の器具など。

救急救命士は主に救急車に同乗し、病院までの搬送中に心肺停止などの緊急事態が起こったときに医師の指示の下で救急救命の処置を行う資格です。 身分は消防官(消防吏員)であり、地方公務員となります。 国家試験に合格しなければ救急救命士にはなれませんし、資格を持っていても消防吏員に採用されなければ救急救命士として活躍することはほぼ不可能です。(海上保安庁や警察、自衛隊等では役に立つかも。)

最近の消防官採用試験の難易度と倍率をご存知でしょうか?知ったらきっと驚きますよ真顔フフッ
このフロアには消防車の原寸大の模型(中に入って写真撮影できます)や、小さな消防車に乗り込み、スクリーンに映し出される火災現場へ急行して消火活動のシミュレーションを行う消防士体験、防災ヘリコプターに乗る空の消防隊等、体験型の展示物が多く、子どもに大人気でした。
防火衣の貸し出しもしているので、消防官になりきって写真を撮ることもできますよウインク
模型ショーステージ
火災発生から119番通報、指令室から消防隊・救急隊等に指令を出し、救助・消火活動から救急搬送するまでの一部始終を模型とアニメーションを組み合わせて、子どもにもわかりやすく説明しています。

模型とアニメーションが連動していて、本当に良く出来ていると思いましたにっこり

消防を通して日本の歴史も学ぶことができる消防博物館は、大人も子どもも楽しめる場所でした。これで入館無料なのですから、本当に驚きです。

後編は内容が微妙(?)なので、アメンバー限定記事となります。

後編(アメンバー限定記事)へつづく