阪神淡路大震災の記憶と記録
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阪神淡路大震災の記録4

割れたガラスの上を歩く事は大変危険なので、どうしようか?と、考えていました。
私は毛布をひいてその上を歩いたらどうか?と母に提案しました。
母は「えらい!」と褒めてくれました。
私は毛布を持ってきて、サッとお皿の上に毛布を広げてその上を恐る恐る歩いて先に進みました。

狭い社宅なのでもう玄関に到着。

玄関には父の大好きな熱帯魚が泳いでいた水槽が物の見事に倒れて玄関に魚が干上がって死んでいました。

その光景に絶句しましたが、何とか靴をはいて、玄関を出ました。

沢山のヒビが入ったコンクリート壁が目に飛び込みました。
地面も断裂していたりで平行には歩ける状態では無く、段差に気をつけないとダメでした。

しかし、近所の人たちの顔を見れたら安心したと同時に、怖かったね!○○さんたちは大丈夫かな?など、安否確認等をしていたとおもいます。

社宅の、目の前には大きな公園があり、そこへみんなが集まってくるという状況でした。

怖くて怖くて震えていましたが、早朝。
みんなパジャマだったり、頭もボサボサだったり、子どもながらに変な光景でした。

いい年の金髪ヤンママは、えらいスッピンがブサイクで驚きました。

熱を出していた友達はお母さんに抱っこされていました。
これも普段見る光景ではなかったので、印象的でした。

みんなが抱えている色々な事情はお構いなしなのが天災なのです。
いつ、やってくるのか分からない、だから怖い。










アカウント作り直してブログを書こうと思ったんですけど、ややこしそうだからここに記します。
興味のない方はスルーして下さいね✨

阪神淡路大震災の記録3

人生で味わった事の無い恐怖にただただ、揺れが収まってほしい。
お母さん、もっとしっかりして!と短い時間で沢山の事を思っていたんだなぁと。
この時は、本当によく分からないという感じで、もしかしたら死ぬかもしれないとか思う事はありませんでした。
ガタガタと揺れる音に加えて家具の転落、お皿がガシャンガシャンと割れる音。
日常には無い音も沢山ありました。
薄暗い押し入れの中、少しの客布団の上に身を丸くしていました。

揺れも落ち着き、止まった時は安堵し、ホッと胸をなで下ろして3人押し入れから出ました。
早く外に出たいという気持ちを強く思っていましたが、お母さんはまだ動くな!と言う、指示を出したような気がします。

ほどなくして、外から「とりいさーん!とりいさーん!」と声が聞こえてきました。

私は急いで2階の窓を開けました。
同じ社宅に住む家族が心配して叫んでくれていたのです。
私たちは、おーい!大丈夫だよー!と手を振りました。

5階に住んでいる家族はもう外に出たんだな!
いいなと思っていました。

よし、出るぞ!と思い部屋を出たら沢山の物が散らばっているうえに沢山のお皿が割れているではありませんか!
ガックリしました....



阪神淡路大震災の記録2

最初はガタガタと揺れ始めたのだろうと思います。母が起こしたか、どうかは覚えていませんが起きて気がついた時は震度3位でした。
なかなか、収まらない揺れはどんどん酷くなり。揺れていると感じていた物が次第に下からどんと押されてる様な感覚も感じました。
時間にするとどれくらいだったのか分かりません。

母は目の前にある、和だんすと学習机が倒れてくる、危険を感じました。
私はとにかく家の外に出るたいと思いましたが母はそれは危険だと言い、私はマジかよ~と思っていましたね。
じゃぁ部屋にある押し入れに入ればいいのでは、ないか?と提案しました。
母は本間や!と言い、私と弟を押し入れに入れて3人でとにかく揺れが収まるのを待ちました。

でも揺れが収まる所かどんどん酷くなり、私も怖いというか何が起きているのか分からないという状況が正しいと思う感情でした。

それなのに、母はキャーキャーと大声で叫びあげていて、私は「お母さんうるさい!」と怒りました。

お母さんはほんまやね。って答えたと思います。

普通、怖いときって声が出ませんよね?
今考えても、不思議でしかたありません。

とにかく長い間揺れは続きました。
でも、今調べていると強い揺れの時間は15秒ほどでした。


とてもじゃないですが、そんな短い時間だと思えませんでした。


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私が4年生の時に経験した事ですが、息子が4年生になりました。息子に読んで貰ってなんとなくこの経験を記していこうと思っています😊

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