基本はいつもスタンドプレイ -126ページ目

件名を懸命に書くのが賢明だ。

アクセスアップの方法として「ブログタイトルや件名に力を注ぐ」と良い、というのがアメーバさんのヘルプに書いてあった。それも「わかりやすいタイトルを」と。



 でも、ボク自身はアクセス数なんて「多すぎなきゃいい」と思っているくらいに(とは言え、全体で10000位くらいにはなりたいけど)思っているので、あまりアクセスアップのために、わざわざあくせくしていないのです。第一、相当な人数が集まるところって、無法地帯がおおいでしょ。「算用数字が入った某巨大掲示板」とか、「某孫正義さん関連ニュースのコメント欄」とか、「某微生物ニュースのコメント欄」とか。「某」が全く役に立っていないけど。



 別にアクセスアップのためではないけど、これでも件名は結構工夫しているんですよ。それもあさっての方向に。



 今回のは、まぁ元ネタが単なるダジャレですけど、他のは大抵の場合、内容から連想できたものにしています。「どっちが大事」ときたら「大事MANブラザーズバンド」にかけるとか。「子守唄」から「ギザギザハートの子守唄」に持っていくとか。「友達以上になれなくて」は奥山佳恵さんのシングル曲で。「進化した猿たちが『キー』」は星新一さんの「進化した猿たち」という本と、「鍵」に引っ掛けたもの。「こんちくしょうゆ」は北村薫さんの作品から。鳥居みゆきの7日間戦争」は、25歳以上でないと元ネタがわからないかも?



 ちなみに一番のお気に入りの件名は、9月29日の「オカリナの貸し借りはやめましょう」です。元ネタ、いったいどのくらいの人がわかるのかな・・・。



 もうひとつ言うと、ボクコメント欄に「無題」とか、「No Title」が続いているとそれを崩したくなる性分でして、ブログのコメントには必ずタイトルを入れています。もちろん小ネタははさんで。



 ブログやコメントの内容に自信がない、というせいもあって、とりあえずタイトルだけでもどうにかしようといつも考えております。もっとも考えすぎて、タイトルだけでは内容がさっぱりわからないのがネックですがね。「こんばんは、7時の乳吸うです」なんて、自分でも内容忘れちゃってたし。

ダメになりそうな時、それが1番大事。

お金と愛、どっちが大事? ブログネタ:お金と愛、どっちが大事? 参加中


 もし、愛するためにどうしてもお金が必要だったととしたら、本当に大事なのはどっちだろう?




 ・・・とか書いてはみたが、明らかにノープランだった。やめておこう。





 この場合の「愛」というのがどういった性質のものを表わしているかはわかりませんが、人と人とを「つなげるもの」を幅広く表わしているのなら、これは問題なく「愛」ですね。「1人きり泣けても、1人きり笑うことはできない」というのは中島みゆきさんの「with」という曲の歌詞ですが、結局、楽しかった思い出って、誰かと一緒にいたことによって形成されたものばかりなんですよね。一緒に食事をする、一緒にビールを飲む、一緒に野球を見るなどなど・・・。「1人カラオケ」だって、結局は「誰かと一緒に歌うため、誰かに聞いてもらうため、そして誰かとカラオケに行くため」に練習するんでしょ。あと、その歌手のようになりたいため、ってのもあるか。いずれにしろそこには必ず「愛」が発生していますね。



 しかし、そういった「愛」とは無関係に快楽を味わえるものもあります。それはギャンブル。しかも、その目的はほぼ100%「お金」であります。



 ボードレールの詩に「人生には真の魅力は1つしかない、それは賭博の魅力である」というのがあります。




 ・・・とか何とか書いてみたが、風呂敷を広げすぎた気がする。やめておこう。







 「カイジ」という有名コミックのセリフに、こんなのがあります。



 「金は命よりも重い」

 


 へーそうか。金は命より重いのか。じゃあ、金を持ちすぎたりしたら、腰を悪くするかもしれないね。




 ・・・・などと皮肉ってみたが、「愛」という言葉が消えてしまっていた。やめておこう。




 どうやら、最後までこのブログネタで書けそうにない。しかし、もしも「大丈夫だよ。きっと書けるよ。頑張ってみようよ」という愛情に溢れる励ましの言葉をくれるような、ボクが愛すべき人がいるのなら、「愛が大事」だときっとボクは結論づけるだろう。でも「最後まで書けたら、君に金一封をあげよう」という、若干奇特な人がいたら、ボクはそれにつられて「お金が大事」と結論づけるかもしれない。








 ・・・ま、いずれにしろ、どっちもいないからね。このブログネタで書くのはやめておこう。

暑いの寒いの飛んでけぇ!

暑いのと寒いの、どっちが好き? ブログネタ:暑いのと寒いの、どっちが好き? 参加中


 ブログネタのお題にゃ、「〇〇か××か、おめぇさんはどっちなんだよ?」という、白黒はっきりさせなきゃいけねぇお題が多いと来たもんだ。


 しかも今回にいたっては、「どっちが好き?」かと来たもんだ。こりゃあ、あっしだけが思っていることじゃあねぇが、「どっちも、でぇきれぇだよ!」としか言いようがないね。おてんとさんに当たりつづけりゃ、そりゃぁ干からびちまうだろうし、雪なんざ降って、一面真っちろになった日にゃ、Coccoプロゴルファー猿だって靴を履くにちげぇねぇからな。


 

 ・・・ま、それはともかく、北海道人は自分達では気付かないのですが、意外と寒がりだそうですね。それは何故かと言うと、冬になったら「遠慮なく家全体を暖めてしまう」からだそうです。


 冬になったら氷点下30度以下になってしまうこともある北海道、そんな世界では「ザ・グレートカブキの毒ギリ」だって白くなってしまいます。こういう気温=死因という環境では、家の中だって中途半端な暖め方をするわけにはいきません。もちろん上着を着込んで、脚だけ暖めるというなんてこともしません。極端な話、半そでで過ごせるくらいまでに室温を高めてしまうのです。実際ボクは、家の中では半そでを着てることが多いです。したがって、他地方に行って、暖かくない(半そでで過ごせないくらいの)室温に出会うと、「寒い」と感じてしまうようです。こういうのを「温室育ち」と言うんでしょうか?



 ところで、話は変わりますが、



 みなさん、自分の耳たぶを触ったことはもちろんありますよね?


 どんな感触というか、柔らかさでしたか?

 プニプニですか?それとも、タプタプですか?

 ボクはこの耳たぶが「カチカチ」になったことがあります。


 中学生のころの話です。耳あてという、耳を保護するための防寒具があるのですが、それを登校時、自宅にうっかり忘れてしまったんですね。もちろん寒ーい真冬の話ですよ。

 とりあえず、学校につくまでは両手で耳を覆って冷たさだけは凌いでいたのですが、ガードが甘かったんでしょうね、教室で自分の耳を触った時に、「カチカチとなった右耳たぶ」の感触を味わってしまったのです。凍傷にかかったことが自分でもわかったのでしょう。冷え切っていたボクの体に、さらに寒気が走りました。

 学校の保健室では、応急処置として、それが正しい治療法かどうかは解りませんが、とにかく「熱したタオルを当てて」右耳を融かす(この場合の「とかす」はこれが正しいのか知りませんが)ことに専念していました。

 その後病院の診察も受けましたが、幸いにして右耳を失うということもなく(ただ、その1歩手前だったようです)、ボロボロと痛んだ皮がはがれてきたころ、無事に治癒することができました。


 今から20年くらい前の、寒さに関する悪い思い出です。それがあるので、やっぱり冬は好きになれないですね。もっとも、北海道は1年のうち、5ヶ月くらいは冬なんですけど。