鳥居 祐一オフィシャル ブログ「賢者との出逢いと交流」 Powered by Ameba
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マーク・アイバローニー ・・・ この名前を聞いたことのある人はまずいないだろう。日本人でいたとしたら、よほどのNBA通だ。


彼もアンソニー・ロビンズのセミナーに参加していた。

アイバローニーは’83のNBAチャンピオンとなった フィラデルフィア 76er's のスタメン・パワーフォワードとして活躍した。

80年代のNBAは強豪LAレイカーズの独壇場だった。

カリーム と マジック が活躍し、派手な Showtime Basketball は大人気。人気抜群の マジック・ジョンソン が、バスケットボールというプロスポーツをを一大エンターテインメントに押し上げた。

76er'sは、レイカーズと80・82年と2回ファイナルで戦って負けた。その76er'sにとって、83年は雪辱を期す絶好のチャンスだった。

ヒューストンからリバウンドに強いモーゼス・マローンを獲得し、チーム力も前年より格段にUPしていた。

さらにレイカーズの ジェームズ・ワージー と ボブ・マカドゥー の オールスター・フォワードが二人とも怪我で欠場。

そしてチームの大黒柱である、『ドクターJ 』こと ジュリアス・アービング に初のチャンピオンリングをプレゼントするという大きな目標が、チームの指揮を盛り上げた。

結果は4タテで 76er's の勝利。ドクターJは、悲願のチャンピオンリングを手にした。


アイバローニーは83年のプレイオフで ドクターJ と共に チャンピオン76er's の先発フォワードだった。

アイバローニーの成績を見るとお世辞にも一流とはいえない。ハッキリ言って、数字だけを見たら 3流選手。しかしインサイドに強く、当時の76er's には必要な戦力だった。

NBA実労6年で、その後はイタリアやスペインでプレーをしている。

引退後は母校のバージニア大学を皮切りに、指導者としての道を歩む。現在はLAクリッパーズのアシスタントコーチとして頑張っており、コーチの世界で才能を開花させたようだ。

当時の思い出やレイかーズとの死闘に興奮したことを話すと、目を細めて喜んでくれた。もう30年前の話だから、かつての栄光に触れられ彼も嬉しかったのだろう。

僅か5分ほどの会話だったが、私も当時の興奮がよみがえり思わず嬉しくなった・・・