私が俳句にはまっていることは確かここで書いたと思う。
最近届いた『サンデー毎日』を何気なくめくっていたら太田和彦さんのエッセイ「おいしい旅」に目が吸い寄せられた。
「師走の俳句会」
今回のタイトルである。
むむむむ「俳句会」とな!
一気に読んだ。
分かったことはまぁ、当たり前のことだが、俳句会のありようは同じなんだな、ということだった。
太田さんは師走、12月に二つの俳句会に出席されているようだ。
「下手の横好きで長年俳句を続けている」
と冒頭に書いてあるので、もう俳句のベテランなんですね!
最初の勉強句会は季題が「海鼠」
漢字題が「白」
それに自由題
の三句を持ち寄り、中央沿線の料理屋に出版社や新聞社、作家など文化系の12人が集まって句会が開かれた。
それぞれが投句した紙を見て、自作以外の五句を互選、主宰の進行で選者が感想を述べ、さらに主宰が講評した後「どなた?」と問われて作者が名乗る。
太田さん曰く。
「自句が選ばれると誇らしく、講評が勉強になる」
(人の世のどう変わろうと赤海鼠)
「これは五人が選んでくれてニンマリ。講評『赤海鼠が効いている』が嬉しい」
この辺の心理は同じく俳句の道にはまっている人間としてはよく分かる。
ところが、「白」の自句
(大雪原心も白く広がりぬ)
は誰にも選ばれない零点だったそうだ。
太田さんはこう吐露する。
「どの句も一人くらいは選んでくれるのでかなり残念だ。作者としては季語『雪』の風景による心の浄化を詠んだつもりだが、講評は『大雪原の説明だけに終わっている』」
太田さんが参加したもう一つの句会の模様も書いてあるが、割愛。ただこちらでは「師走」
のお題で
(立ち食いの背中丸さ師走かな)
が『天』を頂き、十四人参加で五位だったとちょっと嬉しげに書いてある。
私が確かにそうだよね、と同感したのは次の言葉だ。
「俳句は不思議なもので自信作ほど選ばれない」
その通り!
私も同じ思いを抱くことが度々あるからだ。
さて、ここで恥ずかしながら一月の句会(幸鷹会)での私の結果もご報告しておこう。本当は恥ずかしいのである。だけどここで引いたら卑怯と謗られても仕方がないのだろう。まだ俳句始めて一年もならね初心者の句だと思って欲しい。
一月の兼題は「蠟梅」「二日」または「三日」、「寒卵」、それに漢字「板」。
太田さんの会と違ってこちらは六句の投句で、七句を選句する方式だ。
ざっと私の句を披露する。
(がん告知蠟梅強き香で撃てり)
(子や孫の賑わい去りし二日の夜)
(寒卵白さ艶ますこしひかり)
(板垣に陽だまりぽっと冬桜)
(白菜の白さ目を射る水炊きよ)
(碧空に向かひて誓ふ寒椿)
以上の六句だが、何人かの選句に入ったのは三句だけ。あとは無選。どれが選句に入ったと思いますか?
答えは二番目の句(子や孫の・・・)、四番目の句(板垣に・・・)、六番目の句(碧空に・・・)
だった。
二番目の句は主宰の選句にも選ばれ、ほっとしたが、自分としてはこれがそれ程の自信作かというと左にあらずだ。
本当は最初の句
(がん告知蠟梅強き香で撃てり)
を本命にしていたのだが、全くの素通り。零点もいいとこだ。
太田さんの
「俳句は不思議なもので自信作ほど選ばれない」
の言葉が甦るのだった。
(1月17日記)