小林麻央さんは34歳の若さで亡くなった。がん闘病の結果である。

その後テレビや新聞、雑誌、ネットなどでの取り上げ方を見ていて、私にはどうしても言いたいことがある。
あの若さで亡くなったのだから悼む声が多いのは当たり前だ。
私も訃報に接した時は心から哀しみを覚えた。二人の幼子を残して34歳で逝くことになって、本人の無念さは勿論家族の喪失感はいかばかりかと、思わざるを得なかった。
しかし、その後の報道のされ方を見ていて私にはどうしてもこれでいいのか?と言う疑問が湧き出てくるのを抑えることができない。
麻央さんの死後の報道は麻央さんが闘病の中でブログを綴り続けたこともあって感謝や感動の声が満ちた。
私はそれはそれでいいと思う。
私も毎日彼女のブログを読んでいて一喜一憂していた。
問題は話がそこで止まっていることなのだ。
がん闘病のプロセスに問題はなかったのか?
同じがんに侵されている者への何がしかの教訓はなかったのか?
私はちらりと週刊誌で見た記憶があるが、麻央さんは最初乳房に腫瘍が見つかって医師から「はっきりしないので経過を見ましょう。三ヶ月後に来てください」と言われたにもかかわらず、三ヶ月後に受診はしていないようだ。
正確なことは遺族や病院からきちんと聞かなければ分からないが、1年弱は西洋医学の診断、治療から遠ざかっていたようだ。
乳がんはその間にどんどん進行する。
麻央さんはその間何をやっていたのか?
ある報道では気功に頼っていた時期もあるという。つまり西洋医学の診断と治療から身を引き、所謂民間療法に頼っていたという。
そこに問題はなかったのか?
麻央さんは2016年ブログを開設した当初、次のような思いを綴っている。
 
「あのとき、
   もっと自分の身体を大切にすればよかった
   あのとき、
   もうひとつ病院に行けばよかった
   あのとき、
   信じなければよかった
   あのとき、
   あのとき、」
 
このブログの中でどうしても気になる一節がある。
 
「あのとき、
    信じなければよかった」
 
と言うくだりだ。
気になるなぁ。
彼女は何かを信じた。
すがった。
しかし、病状が進行してから
そのことを悔いている。
後悔しているのだ。
 
この辺りのことをちゃんと受け止めないと、麻央さんの本当に伝えたかったメッセージは私たちには届いていないのではないだろうか?
家族の証言など難しい問題もあるだろうが、麻央さんの闘病を事実に基づいて検証する必要がある。
それが34歳で命を散らした麻央さんへの最高の鎮魂の作業だろう。