いつの時がきっかけなのか。
はたまた、
様々な積み重ねた日々の出来事でそうなってしまったのか。
はっきりとした原因は分からないけど。
私はきっと小さな頃から、
ありのままの私で生きることが怖かった。
それは、
ありのままの私で生きると傷つくから。
もうこれ以上、傷つきたくなかった。
これ以上傷ついたら私の心は死んでしまう。
そんな風に思っていた。
〝どうせ、私は分かってもらえない〟
だから私は、
ありのままの自分で
自分の人生に深く根を下ろすことが怖くて出来なくなっていた。
〝ありのままの私で生きたい〟
大人になってからそんな風に思って、
芽吹きたくて、成長したくて、
私の花を咲かせたいと頑張ってきた。
なのに、肝心の根っこが張れない。
だって。
根を広げようとして、誰かにその根を切られたら?
他の動物に食べられたりしたら?
傷つくのが怖くて、根が張れない。
ありのままの私を誰かに評価されるのも、
間違ってると言われるのも、
ありのままのあなたじゃダメ、
もっと頑張らないと、と誰かに言われるのも、
もううんざりだった。
そんな風に言われて傷つくくらいなら…。
〝傷ついても、大丈夫なのだよ〟
どこからともなく声を感じる。
えっ?
傷ついても大丈夫なの⁈
〝傷ついても、大丈夫。
自分の生命力を信じて。
誰かに傷つけられても、あなたは枯れない。
傷つかないようにと根を張らないのではなくて、
傷ついたって、
そんな事であなたの光は無くならない。
あなたの心は死なない。
だから、根を下ろしても大丈夫。
内側の力を、信じて〟
そっか。
繊細で傷つきやすい=弱い
ではないんだね。
私、傷ついても大丈夫なんだね。
私が一番怖かったのは、
きっと私の力を信じる事だった。
私は私で良いし、傷ついたって良くて、
繊細であってもいい。
でも、弱くなんかないんだね。
そんな私だからこそ、
きっと出来ることがある。
私、本当は強いんだね。
『誰に何を言われたって、
私の光は大丈夫。
私の光を、信じて大丈夫。』
バターカップの花が、
それぞれ輝く黄色の花を風になびかせながら、
歌うように
咲いているように。
私もあなたも、
内側の光はいつだって輝いている。
〝内側の光を信じる〟
ありがとう、バターカップ。