歌心も短歌の素養もない。器用さ?だけを頼りに人麻呂を語ろうと言うのだから相当な度胸がいるが、それもこれもコロナのせい。外出の自粛に次ぐ自粛で、幸い自由時間だけは有り余るほどある。
柿本人麻呂は万葉前期の代表的歌人。鳥を題材にした歌は思ったほど多くなかったが、それでも万葉集収録458首中20首ほど。そのなかで一番多いのは雁で、多くは北帰行を詠う歌だ。昔の冬は厳しかったと見えて、春の訪れがよほど待ち遠しかったのだろう。
(池で泳ぐマガン。万葉人の美意識は飛翔にあったようだが・・)
なかに1首、雁が便りを運ぶ歌がある。
春草を 馬咋山ゆ 越え来(く)なる 雁の使いは 宿り過ぐなり
これは前漢の将軍蘇武が捕われのわが身を手紙にして雁に託し、皇帝に知らせた、そんな中国の故事に因んだものだとか。同様の話でも、伊勢物語の時代(11世紀頃)には
ゆく蛍 雲のうへまで いぬべくは 秋風吹くと 雁につげこせ
となる。ここでは雁はこの世とあの世を行ったり来たりする鳥。秋風が吹いているので早く来て、不憫な娘の霊をあの世から連れてきておくれ、と歌う。雁は伝言や霊魂を運ぶ使者として色々と多忙なようだ。
(オオタカの舞う池をオオハクチョウの庇護のもとに行くマガン。何を運んでいるのやら)
近江の海(うみ) 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしえ)思ほゆ
近年になって評価を高めた一首だと言う。夕波と千鳥、篠、古を畳み掛けで哀愁を表現する、このテクニックに一廉の読み手なら感嘆するのだそうだ。そんなもんかねえ~
千鳥と言う鳥はいないからコチドリ、シロチドリ、それとも大型のケリ?広大な琵琶湖に釣り合う千鳥と言えばケリか。
(シロチドリ)
ケリと鋭く大きな声で鳴く。
もう少し範囲を広げてアオアシシギは鳴き声を聞いたことがない。
シギでよく鳴く鳥と言えばピュイ~と哀愁を帯びて鳴くキアシシギ。
この歌は何時頃の作だろう。回想の古とは672年の壬申の乱、2、30年前の話だ。宮廷歌人として仕えた持統天皇は身内同士が争った乱の一方のヒロイン、人麻呂はその女性と恋仲が噂されるほどだったから、歌の文面とは別に特別の感情がこみあげて来たことだろう。だが、万葉集では旅の部にあって恋歌の部にはない。
ひさかたの 天の川原に ぬえ鳥の うら泣きましつ すべなきまでに
愛する殿方は1年に1度しかやって来ない。ぬゑ鳥のように薄暗い森でフィーフィーと一晩中啼いている。七夕に空を見上げ、人麻呂には心変わりの牽牛となお諦め切れない織女が見えたのだろうか。ぬゑ鳥がトラツグミと分かったのは江戸時代だとか。トラツグミは地上を歩き回って土をほじくり返しながら好物のミミズを探す。腰を上下に動かし、その反動で移動する仕草はひょうきんでさえある。
(ぬゑとはお前だったのか)
川原には舟があるので会う気さえあるなら会えた。万葉集の同じ七夕の条に
よしゑやし 直(ただ)ならずとも ぬゑ鳥の うら泣き居りと 告げむ子もがも
私に会うのがいやなのでしょう。子があれば、代わりに遣わせたでしょうに、と織女が詠う。直くでなくていいから、とあるのがいかにも現代的だ。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
貴族社会の一般的な婚姻形態は通い婚。通い婚を享受できる貴族社会でも、微禄の貧乏貴族にとっては大変だったようだ。人麻呂も最初の通い婚では、相手が人妻だったのか、通うにも人目を憚られ、しばしば独り寝を余儀なくされた。なお、独り寝を託つ歌はこの他にも人麻呂が2首詠っている。
我が恋ふる 妹は逢はさず 玉の浦に 衣片敷き 独りかも寝む
玉櫛筒 明けまく惜しき あたら夜を 衣手離れて 独りかも寝む
そんな時、夫婦でも夜は尾根を挟んで別々に過ごす鳥がいる、と聴いて少しは気休めになっただろうか。
(独り寝の象徴ヤマドリ。自慢の尾が写ってないのが残念だが・・)
(「ヤマドリも変わった夫婦だねえ、人間まで真似しているよ」)
なお、万葉集ではこの歌は作者不詳となっていて、人麻呂の作かどうかはっきりしない。枕詞を畳み掛ける手法は限りなく人麻呂に似てはいるが・・













