これはあまり言いたくないのですが、「今作ったら数百万・・・・」というフレーズが良く聞かれる。
これは音ではなく情報を聴いているのだなあと思うのです。
単品コンポーネントの出荷台数が30年前の10分の一以下という話もあるようで、量産効果が無いという事はあるでしょう。
ただ、30年以上前の機材は大幅に劣化をしているという問題が避けられていますし、修理をすれば確実に音は変わります。同じパーツはありません。また、30年前の国産スピーカーに代表される、新素材の使いこなしの未熟さからくる、腰高な音でチューニングされた機材という問題も見過ごせません。
当時のデジタル録音のレベルの低さも問題で、このようなソフトでチューニングされたという背景もあります。
こういう音そのものの問題を避けて、見た目の物量で判断するようなことをしているからメーカーもそういうマーケティングをしてしまい、全体のレベルが下がるというのはあるでしょう。
オーディオメーカーの多くが消えた理由はいろいろありますが、無駄な物量投入で消耗した事実は避けられません。
国産メーカーが無駄な物量投入をしている間にそんなことをしなくともバランスの良い音を出す海外メーカーの方がその後生き残ったという事例も考える必要があります。
「店は客が作る」という言葉もたまには思い出した方が良いでしょう。
なかなか聴く時間が無かったり、良い条件でデモをする販売店が少ないのが原因とは思われますが、インフレと量産効果が効かないことで割高感はあることは事実とはいえ、昔に比べてスピーカーもソース機器も合理的に物を作ることができるようになり、それは音質面でも一定の効果があるように思います。
2000年代と1980年代では明らかに求められるトーンが異なっており、1980年代はソース側の解像力が不足している関係で、どうしてもコントラスト明瞭さ主体のものが多いように思います。
これが、ソース側の情報量が増えることで、S/N感の改善で音はどんどんナチュラルに(静か)になっていきます。
静けさを生かせない環境だとこれがマイナスに働き「力が無い」、「暗い」という評価になりがちな印象があります。
この辺りの切り分けができない人が過剰に1980年代の機材への憧憬を強めているように思います。
今の機材は性能が上がった分、過剰な使いこなしを要求するところがあり、この辺りはメーカー側も口をつぐんでしまっているように思います。音まとめの難易度が上がったから、容易に作れて利益率も高いアクセサリー屋が跋扈する原因もそこにあるでしょう。
無論、情報量が増えた割には録音側も相変わらずの海苔録音などの跋扈で、機材の違いなど吹き飛ばすようなひどい作品も多く、これらの話の前提条件はオーディオ的に適切な録音を用いた再生であることは記しておいた方が良いかもしれません。