トリですセキセイインコ青 こんばんは。

 

今朝、妄想記事の朝バージョンを書きまして、夕方は夜バージョンを。


というお声もいただいたのですが、急に書きたくなった事象があり、夜バージョンは近いうちにまとめます。

というか、今すぐにでも妄想はできるからね(笑)

今夜、後で出すかも知れないしね、変態だからニヤニヤ

 

 


今回、ほぼバンタンごとではなく、私に関する出来事。今、感じていることです。


そして前半、内容が暗いです(笑) 

あ、同情していただきたいわけじゃないので、ある人間の歴史だと思って、さらっとお読みくださいねウインク

 


いつものポップな変態節を期待してくださっている方々、すみません。デレデレ

 

思い返す順に綴るので、まとまりが無いかもです。

 

 



 

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邂逅(かいこう)とは、思いがけず巡り合うこと。

 

 

 

この話は、

トリが6歳、少女の頃に遡ります。

 

 

 


少女は一人っ子でした。

 

小学1年生の時に、両親が離婚。

音楽ディレクターだった父が出て行き、母は昼夜問わず働きながら少女を育てました。

 

元々、学歴が超優秀で、結婚まで完璧だった母。離婚で挫折して荒れに荒れ、キッチンドランカー状態。


そして自宅に連れ込むパートナーをとっかえひっかえ。

 

幼い少女が育つ環境としては、最悪でした。

今思えば、完全にネグレクトです。

 

 

唯一良かったのは、家事の大体を覚えることができたことでしょうか。家にほとんどいない母。知らない男性が定期的に出入りする。



会話の無い家で、少女は心を病みました。


場面緘黙(かんもく)という症状を聞いたことがありますか。学校では友達と普通に話せるのに、家では声が出ない。

 

普通は逆のパターンを患う子供が多いかもしれません。でも、少女は逆でした。

 

 

 

ある時、小4くらいの頃でした。

その頃も母は、新たな男性にのめり込み、

連れ子のいる相手の家に引っ越すと言ったことがありました。

 


声の出ない少女は、一度だけ反対をしました。

 


「行きたくない。家から学校に通いたい。」と。

 


でも、母はその場で大泣きし、

 

「お母さんの人生はどうして思い通りにならないの。あんたのせいよ!(以下省略)」と罵られたため、仕方なく同居する羽目になりました。

 

少女は、ますます人と関わり、話すことが苦手になっていきました。

 

 

 


そのような時代を経て、少女も中学3年生。

グレて補導されるような振る舞いは、自分が損するだけ。目立たない、地味な中学生でした。

 

勉強はそこそこ優秀でしたが、高校生になってもあの自宅で母親や、父親面する他人に縛られて生きていくのは嫌だったため、とあるスポーツの部活動ができる高校を選び、15歳で越境、部活の寮に入りました。

 

 





この辺り、グクちゃんやメンバーと似ているでしょう?トリも、中3から親と暮らしたことはありません。

 



他の部の仲間たちは長期休暇の度、嬉しそうに自宅へ帰りますが、少女には帰る家が無いも同然です。

 

必死にスポーツに打ち込み、そこそこ全国的にも良い成績を残せるようになっていきました。

 

 

 

 

高校2年生の秋のこと。

 

相変わらずコミュニケーション下手で、監督の顔をまっすぐに見られず叱られていた頃。

 

 

遠征で、韓国に行くことになりました。



場所は、釜山にある大学。


高校生ですが、大学で合宿をするのです。

6日間くらい行ったと思います。

 

 




初めての韓国、釜山。


人生で最初に訪れた外国です。


 

今でも覚えているのは、運動と食に関する韓国の人のエネルギーの素晴らしさ。

 

合宿は毎日、4部練習。

朝一番は山道でのRunトレーニングでした。

 








きゃわわ~ラブラブラブイエローハーツ





釜山は、坂の町。急坂がとても多いのです。

 

本当にものすごいの。ソフトクリームのように巻いている坂なのです。周りを見ると、近所に住んでいるであろうおじさんやおばさんも走っている。

 

ヤバい町に来てしまった・・

17歳の少女はあと6日間頑張りきれるのか、とてつもなく不安でしたえーん

 

 


朝以外のメニューは、午前はマシンでウェイトトレーニング。午後は専門競技、夜はプールという感じ。

 

日によって、朝練がサッカー(死ぬほどグランドが広い・・・)だったり、午後は2回とも専門競技のことも。

 

 

食事は、テテちゃんレベルで辛い物が食べられなかったので、苦労しました。

 




ものすごい種類のおかずが出るけれど、基本全部辛い。

 

ほとんど毎食をご飯と韓国のりで過ごしたため、帰国前には5kg痩せていました(泣)

 

3日目だったか、白いスープが出たんです。これはイケる??と飲んでみたら辛いゲロー

 

でも、野菜も肉も魚も、美味しい白米と共にたくさん食べる大学の選手たち。

 

これは、強くならない訳がないと感じました。

 

 

 

6日間のうち、ある半日は休暇をもらって、大学生のヌナ達と釜山の町へ遊びに行きました。

 

食べ歩きをしたり、文房具を買ったり。

言葉は何も通じないのにすごく楽しかった。

 

互いの呼び名と、数字の1から10までしか韓国語はわからない。ヌナ達も同じ。

 

それでも、一挙手一投足に彼女たちのおもてなしの心や、年下の私たちを可愛がってくださる親切心が感じられて、帰国の際は泣いたことを覚えています。

 

もう名前も忘れてしまったけれど、あの経験は私にとって (人は、信じられる温かい生き物なんだなぁ)ってことを教えてくれたんです。とても貴重な経験でした。

 

 


帰国後、一年経って高3の秋、その大学から留学生として入学しないかとオファーがありました。

 

私は、できるだけ実家から離れたかったので、釜山に渡ることも考えたけれど、高学歴の母は海外なんぞ許しませんでした。金銭的にも難しかったと思います。

私は、普通に国内で大学生になる道を選びました。

 

 





今思えば、あの頃の釜山には、まだ小学校に行っていないくらいのジミンちゃんとグクちゃんがいたのです。


 

小さな天使、2人の住む町。

 

もしかしたら、ヌナ達が連れて行ってくれた町のどこかで、彼らとニアミスしていたかも知れない。どこの幼稚園、保育園だったのだろう。最近そんなことを考えます(笑)

 


そして、可愛がってくれたヌナや、男子部のオッパ、大学のスタッフの中に、パクさんやチョンさんはいたのだろうか。


もしかしたら、ジミンちゃんやグクちゃんの親戚がいたかも知れない。ここまでくると、もうただのヤバいやつですが(笑)

 

たった一週間の釜山滞在が、幼い頃の地獄のような思い出の殻を破るきっかけとなりました。

 

 


ちなみに、その後の母とのエピソードですが、母は今も非常に元気です。

 

定年後も働けるようにと、数年かけて大学に通って資格を取得し、今も現役でバリバリに働いています。

トリが専業主夫の夫とうまくいっているのは、間違いなく母の影響があります。

 



トリと母は、25歳の頃、何となく和解できました。

 

母も、母なりに大変な人生だったのだなぁ。

狂う寸前のところで戦っていた。

私を捨てたり、命を奪ったりすることはなかった。


共感はできないけれど、母の辛さや淋しさを想像することはできる。

 

それは、トリが社会人になって苦労し、一人前に働くようになったからかもしれません。

 

 



よその家よりはずっと希薄な関係ですが、年に3回ほど、会食を家族でします。




この前の年末の出来事。

 

ジミンちゃんが、いつもお洒落なネックレスを身につけているのに憧れていたトリ。

 

同じものか、または似たデザインなど、自分へのご褒美として買いたいなぁと、ハイブランドのHPを色々見て検討していました。


けれど結局、これだ!というものに巡り合えず、保留にしていたのですが、母が年末の食事の時に、初めてプレゼントをくれました。

 

それは、雪の結晶の形をしたダイヤモンドネックレス。ジミンちゃんの Christmas Love のような、美しさでした。

 

母曰く、結婚11周年のお祝いだそう(笑)

 

自分では探せなかったけれど、素敵なデザインのものをいただけて嬉しかったですニコニコ

 

 


 

えーっと、

このとりとめのない話で、何を言いたいかというと・・・

 


2つあります。

 

1つ目は、

トリ自身が「血・汗・涙」レベルのジェットコースター人生を歩んできたため、

余計にバンタンの少年時代の努力や苦悩に共感できること。自己実現に向けて懸命に戦う彼らが大好きだということ。

 

2つ目は、

もし今、人生に悩む人がいらっしゃったら、

大丈夫だよ。って言ってあげたい。

 

辛いことや上手くいかないことが続くなら、

そこから逃げてもいい。道から外れて、道なんかない所を自分で走って切り開けばいい。

 

そんなの切り開けないよっていう人は、敷かれたレールから外れて飛び出すタイミングを虎視眈々と狙ってもいい。

何となくレールの上で揺られ続けて、いつか自分だけの素敵な空を見つけてもいい。

 

 


人生に、たらればは無いんです。

選ばなかった道の先の結末は、誰にもわからない。

 

先が見えないから、時間は限られているから

精一杯努力しよう。

 

しんどい時は、無理しないで休めばいい。

 

そういうことを、

彼らの曲や人柄から教えてもらいました。

 

 

 

バンタンは、必然的に今の地位に輝いたと思います。

 

その成功の秘訣は、

彼らが自分たちを信じ抜いたから。


どこでどう生きていても、強い光を放てるように、己を磨き続けたから。

 

 




ねぇ、バンタン

輝いてくれてありがとう。

 


海を隔てた日本にも、ちゃんとその光が届いて、今や世界中を包む宇宙になりましたキラキラ

 

 

同じ時代に生きていて良かった。

 

彼らの輝きを見て、

私も自分の居場所でちゃんと輝く人になろうと、改めて思った次第です(笑)

 

何の宣言かよくわからないけれど爆  笑

 

 

これからも、私は自分の好きなものをしっかり愛でて、バリバリ働いてオンマして、苦手な友達づくりも少し頑張って(笑)

 

人生を謳歌したいと思いますセキセイインコ青セキセイインコ黄オカメインコラブラブ

 

 

明日から、またふざけた記事書きますウインク

 

 




Cause I just wanna see the next


You and I, best moment is yet to come.








これまで書いた各メンバーの好きな記事


バンタンの軸をとる男


 バンタンを包む男


バンタンを改革し続ける男


バンタンと世界をつなぐ男


バンタンに徹する男


バンタンを鼓舞する男


バンタンとアミを育む男



 


素敵な写真をお借りしました。

ありがとうございました。