ヤンマガKCスペシャル『中間管理録トネガワ』

 

 

これこれ!これだよこういうことなんだよ!

 

ここのブログに書くのは、基本的にヤラれた!って思うくらい面白かった作品、映画、演劇、マンガ、書籍
もしくは、クソみたいにつまらなかった映画、演劇、マンガ、書籍もたまに・・・
面白いと感じたものの評価を書くことで、自分がどんな作品が好きなのか
その作品のどの部分が具体的に好きなのか、を自覚するのがこのブログの目的。
そうやってストックしておくと、自分でネタを作る時に役立つから。
だから基本は俺がすきなもの。たまーに俺が嫌いなものについて、書きます。自分自身の為だけに。

 

 

今回は『トネガワ』とにかくコイツは久しぶりにヤラレタ!って漫画だった。最高に好き
漫画はかさばるから基本買わないように、部屋に置かないようにしてるけど、これは迷ってる・・・買っちゃうかも

かねてから『バキ』シリーズと『カイジ』はシリアス漫画に見せかけた壮大なギャグマンガだと思っていたから(周囲もそう言ってるし)
そのギャグマンガたる要素だけを抜き出し純粋な結晶にしてしまった「トネガワ」最高にステキ。
正確に言えば、バキカイジはギャグ漫画ではない。でもやってることは俺が理想とするコントに近いものが満載につまっている作品なのだ
バキはまた改めて書くとして、ではなぜ「カイジ」がコントなのか、ちょっと探ってみたいと思う。

 

その最たる理由は
やりすぎ感にあると思う。
世の中には様々なものが存在するが、そのほぼすべてに「適量」というものがある。飲み薬なんかがいい例ね、
効果が出るには少なくても多すぎでもダメ。これは世の万物すべてに言える事であり、
カイジの場合もそう。いくらギャンブルが横行する闇世界の、裏世界の話っつったって
やりすぎなんですよ。すべてにおいて。

 

まず登場人物のキャラクター立ち過ぎ。志向の中でいちいちむつかしい言葉使いすぎ
拷問とかギャンブルに負けた際のリスクでかすぎ。ついでに勝った時の報酬もでかすぎ
苦悩するときのリアクションオーバー過ぎ、でも全てがギリギリありそう。

 

うん、そもそも漫画だからね、現実と比べんなよって話だけど、それにしたって誇張拡大させすぎでしょ


ってくらいに徹底的に独特な世界観を出してきている。
客をつけるなら無難にウマいラーメンより、味にクセのあるものを出せってこと。
万人にはウケないかもしれない。けど一部強烈なマニアたちが熱狂する。そこから徐々に全体に浸透してく作品ってわけだ。

 

ともかく、フィクションだからってやりすぎると、気づいた時にはコント作品一歩手前にきていた「カイジ」
ならばとそれをモロな「コント側」に引っ張りこんだ「トネガワ」ドンハマりである。

 

あとはギャップでしょうね。帝愛グループという庶民には計り知れない闇世界の会社を、一般会社員の価値感から切りとる。購入層を思いっきりサラリーマン層に偏らせた内容にしたのも

いい方に作用してるとおもう。
一晩で何百億というカネを動かす利根川が、たかが一人の部下の名前や服装に振り回される。そしてその利根川の思考は、なんてことない我々一般の小市民と考えてる事は大差ないのだ。

 福本先生は、いわずもがなギャンブルモノ漫画の大家だが、その陰で「黒沢」に代表される心理描写中心の作品も書いている。いや、ギャンブルという盾を使ってはいるが、どの漫画も本当に描かれているのは極限状態の人間の心理描写なのであって、そういう点ではこの「トネガワ」も一人の中間管理職が部下や上司に振り回される様を描いた、「普通の生活の中での心理描写」を書いたものとなっている。そりゃ共感できる要素も多いわけだよ。

 

「カイジ」で今まで作り上げてきたフォーマット、世界観

その上に「カイジ」では絶対出ないであろうフレーズを載せる

「ブンブン」だの「ハローユーチューブ」だの・・・www

「聖徳太子かっ!ワシはっ!」ww

「ワシの記憶ッ!脳みそにっ!ストライクゥゥゥゥ~~!」wwwww

 

なんだそれ

 

で、極め付け、何がすごいかってホントこれ「福本先生本人が書いてない」ってことだよね・・・・全然本家のカイジと遜色ないじゃん・・・話の展開もセリフの使い方も福本完コピじゃん・・・

 

・・・あと・・・よくこれ本家がオッケーだしたよね・・・・いやいやすげえ、いろいろすげえよこの漫画。

君の名は【映画評】

 

俺はこの映画を、男一人でイキオイで乗り込んで観てきたのだが、
後日ある人にそのことをいうと


「え?アレを一人で観に行ったの?男一人で?」とちょっと笑われてしまった

つまりこれは、この作品は、世間一般の認識としては

 

「男一人で観る映画ではない」つまり「男女カップルで観る映画」
そう

みんなの観劇前のイメージは「バリバリの恋愛作品」なのである。

確か予告のアオリもなんかそんな感じだった気がする。

 

けど、見てきた感想、としてはそんなことは全然なくって

恋愛ものの基本である「主軸となる男女の二人の関係性の進展」を楽しむ映画ではなく
どちらかといえば「え?それなんでそうなった?」「この謎ってこの先どうなんの?」
といういわば「ミステリー」な作品だったですはい。

 

申し遅れましたが、「君の名は」この新海誠なる監督の作品を、私はまだ一本もまともに見たことなかったですし、
YOUTUBEでちょろっと「秒速なんちゃら」を見た時も
「なーんかアニメのくせにじめっとした映画だなあ・・・」という感想で
正直今回も、「本当におもしろいのかあ?」という気持ちで見に行った

あげあしを取ってやろうか、くらいのね。

で、どうだったか


「おもしろかった」です

 

期待していたよりは、というところで、細かいツッコミどころは結構あると思いますが、
何がよかったかって「思ったより恋愛恋愛してない」ってとこ。

 

話の展開がまったく読めず、途中から「ええ!うそん!!」っていう展開があり、
そこから前半の謎映像の答え合わせが始まって・・・・最後は
「なるほどねえ!」と、なかなかㇷに落ちる展開


先の読めない、のめり込める脚本という観点からはかなり良かった作品だと思います

登場人物の好き嫌いに関してはまた別のはなしだけど。

ただあれでしょ?この監督って見方によってはバットエンドを書く方らしいから、
なんなら「バットエンドじゃないと新海監督じゃない」みたいな一派がいるんでしょ?

そういうリアリスト・ニヒリスト達にとっては、今回のはどうだったんだろうねえ
あのラストをヨシとするか悪とするか・・・


その手の議論は、なんというか以前に松本人志監督が、それまでの世界観バリバリの独創的な作品から一転し「さや侍」を撮って、万人の観客のツボに寄せたときに「よくやった!」て言った人と「なんだそれ!ツマラン!」と言った人がいたけど、今回の
「君の名は」に対しての賛同と批判の現象ってそれによく似てるんじゃないかなあ・・・と

 

でも映画って連作ものでなければ、前に撮った作品と比べてもしゃあないし
監督が同じであったって、なにしろ「前回までとは別の映画」なわけだし、監督の主義手法も変わっちゃいけないって規律はないし
映画館にわざわざ行って観て、そこでバットエンドなんかみたくねえ!つうのが俺の本音です

私は、どちらかといえばご都合主義万歳!の人間ですから。
「ご都合主義をいかに不自然なく見せられるか?」というのが作品作りの手腕の一つだとおもいますよ。


まだみてないけどたぶん、新海誠作品のなかでは「君の名は」が一番好きだと思う。
じめっとしたのはちょっと嫌だなあ・・・

数日前の観劇から強烈に残ってしまったもの

パクりとインスピレーションとリスペクトとカバーと
 

そしてオリジナルということ。

 

自分が作品を作るうえで、なかなか発表できないでいる原因の大きな一つは
自分のオリジナリティがわからないから、何を作って「俺の作品」としていいか
分からない
事があげられる

しかし考えが詰まって一つも文字を打てなくなった状況から
こうやって人の作品に触れ、そのテーマについて俺にも言わせろ、と突き動かされ
また文字を打つことができている
何か発表できそうなことが自分の中にもできつつある

ならば

人の作品に触れないと、自分の作品をうみだせないなら
人の作品に触れていれば、自分の作品も生み出せるってことになる。

 

これは「パクリ」ではないよね、正確にはこの段階では「まだパクリではない」よね
もちろんこれがエスカレートし、見たものと同じテーマについて同じ考えかたを提示してしまえば
それはもうほぼパクりっつうかオリジナルのただのなぞりになる。

でも、今回のアガリスクも、俺がこうやってインスピレーションを受けた作品でさえ、
上記の意味でオリジナルではない、何かもとになる作品「笑いの大学」があって、間違いなくその作品から着想を得て
出来た作品だった。


だけど、着想を得て作品を作ること、元になった偉大な作品について語る周囲の人々を描くことで基の作品が描いたものとは別の「ある既存の演劇作品に対する愛情・情熱」を見事に描いていた
シンプルに、だれが見てもわかるように、そして、笑える角度で。

本題に戻るが、つまりとある作品からインスピレーションを受けたことで、また新たな全く別の価値観を生み出すことは
可能なのだ
むしろ今、周囲にある「すばらしいオリジナリティ」といわれているもののほとんどが、上記のようなある作品の模倣や作品に対する過剰な愛情が基となり、生まれていったと考えられる

 

じゃあ、あってるじゃん。

 

いまこうやって観てきた作品に対して
面白かったこと、どのあたりがどんな風に面白かったかを再考すること

そして

「そのテーマで自分なら何を作る?」
「その方程式で他にできることはないか?」

を真剣に考えることは、決して無駄ではないし、盗作行為でもない。
むしろ、俺にとっては向いている作品の作り方、といえるのかもしれない。

 

今回はなんだろう。自分の行為を正当化するための言い訳の回なんだろうか・・・

 

というわけで、今後はこの

「自分が見た作品を、もっとここをこうすればおもしろくなるのに論」

について再考をつづけていく必要がある

だから、このブログで劇評やら映画評やらをやるのだ

 

 

うん、しっくりきたぞ。

もう一月も前になる映画鑑賞の感想をやっと、書く

 

それにしてもこの映画の評論は世間にあふれまくってる

なんでか知らないが、この映画のまず凄いところは

「見た後にとにかく評論を戦わせたくなる映画」だというところだ。

 

とにかくみんな語りたがる。メディア評論家・軍事評論家・経済・災害の専門家

モデル・タレントお笑い芸人・・・・とにかく語る語る語る

 

だから今回は、こんなにも世間に評価があふれている作品を

あえて自分の言葉で評価するとどうなるか??というのを試したかった

 

だから、書かせていただく。

 

まず最初に自身の立ち位置をはっきりさせておくために、

俺は50年生まれの今年41歳で、世代てきには例の84ゴジラ

がストライクの作品となる。

世間は平成になるちょっと前の時代、ゴジラVSシリーズの前、

そのときもご存じのとおり、ゴジラはシンプルに人類の脅威として登場し

ひたすら人間たちを怖がらせ、

その人間たちによって、葬られる。

 

これはもちろん、オリジナルの第一作目のゴジラも、そして今回の

シン・ゴジラとも同じ設定だ。

 

あともう一つ、今回のゴジラを語るうえで避けて通れないもの。。。

そう、「エヴァンゲリオン」

ここ、特に声を大にして言いたいことなのだが

 

俺はエヴァを見ていない全くと言っていいほどストーリーもキャラクター

についても、物語の全貌についても、知らないしそんなに興味がない

 

そういう人間である。

 

要は「庵野秀明」崇拝者ではないと。そういうことだ。

 

要約すると「ゴジラはしっててエヴァはしらない」

そういう立場の人間が語る劇評である。

 

いやあでも、結論からいって

面白かったねやっぱり、

なんていうか「俺日本人でよかったなあ、この国に生まれてよかったわあ」

という気持ちになれた。ニッポン万歳、だった。

 

もうみなさん言うまでもなくこの映画は怪獣映画であり

災害を扱った映画でしたね。「見方によってはそう見える」ではなくて

誰が見てもそう。これは「震災」と戦った日本人の映画でした。

 

それが良いとか悪いとかじゃないんです、

「ゴジラ」ってそういうものなんです

だから今回は「正しいゴジラ」をきちんと描けていたなと、まずそこに感動

 

もともとオリジナルのゴジラは、戦争あるいは原子爆弾の権化。

当時まだ敗戦まもない日本にとって最も見たくないもの。

それがある日突然日本を無差別に襲う。

だから怖い。そしてそのフィクションではなく現実に起こった恐怖に

立ち向かっていく日本人を描いた作品、それが「ゴジラ」

 

これがこのまま今回のシン・ゴジラにもぴったり当てはまった

あの震災の権化のように海からやってきて家屋を倒壊させ、

最新鋭の科学力でも止める事ができず、挙句放射能をまき散らし

その範囲をどんどん拡大させていく・・・

ただなすすべなく黙ってみているしかない日本の国民が、しかしこの国の

最後のそこ力を信じて立ち上がっていく・・・

 

平成に入ってからもゴジラシリーズは数々作られたが、

このオリジナルゴジラの志を受けついでいる作品はほとんんどないといってもいい

 

作れないんじゃない。作ってもウケないのだ。少なくともあの震災前の日本では、そうだった

 

けれど我々は一度地獄をみた、ある日突然誰も予想できなかった地獄

そして、我々の前に再びゴジラが現れた。

「どうした日本人、おまえらはこんなものか?とでもいわんばかりに

【書きかけ記事】

※ブログ再開にあたり注釈
このブログは極めて私的な「忘備録」であり「劇評」であり「ネタ帳」。

 

岡田斗司夫が庵野秀明を馬鹿にしながら劇評を語るあのノリで

演劇作品を何もしていないのに偉そうに語る。そんなブログになればいい

 

9月のテーマ
①シンゴジラ➡近いうち書きます
②君の名は➡これもやります
③アガリスクエンターテイメント「笑いの太字」←今回これ

タイトル通りネタバレあります。大阪公演これからですから

これから観劇する予定の方はこの記事の閲覧はお控えください!!!

 

③「笑いの太字」について

※この記事はまだ、書きかけの記事であります。

同時上演「ワイフゴーズオン」もあり、

そちらは昨年のコメフェスをとったくらいの秀作であったので

「笑いの・・・」の方は単なるオマケだと思っていた

もっとはっきり言おうか。舐めてましたよ。


今回の作品「笑いの太字」一見すると二本立て公演の二本目、
省エネルギーなお芝居かと思いきや・・・
これは相当な物議を醸す作品
最小限の動きやセリフ、設定を使い
最大限の効果を上げた、画期的ないや革命的な作品なのかもしれない。

 

笑いの大学という名作
演劇における「パクる」という行為
台本があれば上演できてしまうエンゲキという文化
言ってみればこの作品は「究極の二次創作」だと思う

パーフェクトブートレグ。


はたして、かの名作をまるごとパクる、もはや書き写しただけというこの作品は
本当にただのパクりなのだろうか?

新しい芸術作品と呼べないのか?ウオーホールのキャンベル缶たりえないのか?

 

・・・などと、大仰にむつかしいごたくを並べ立ててはいるが、やっている事がとにかくくだらない。というかスケールが小さい。学生、大学、卒論
この「本人にとってのみ、深刻な問題」「周囲にとってはどうでもいい些細な事」に落とし込んだ設定がうまい。

いいコメディの条件として、

「後半になると、前半からもってきたテーマにより物語が加速する」という

俺の理論があるが、この作品は見事にそれをクリアしていた。

 

本家があって、パロディが存在する。
ある作品があって、ファンムービーが存在する
基がないパロディなんてないし、 マスターとなる作品のないファンムービーはありえない。

この作品は、スターウオーズにおける例のファンムービーであり、マーベルにおけるデットプールなのである。

 

そしていいコントは、まるでいい「いたづら」のように

見ていて爽快な気分になれる。

コメディで笑う事と、いたずらを見て笑う事は非常に近いのだ。

 

そしてこの作品が、見ていて痛快な、豪快な「いたづら」として成立しうえているのは、
何よりも「二次創作・ファンムービーのくせに、本家の作品にはない、新たなテーマを生み出している」
というところにある。

 

こここそが成功したといえるゆえんだろう

 

今回、45分という短い芝居ながら、劇中でヤラレた!と思ったセリフ

 

「三谷幸喜作品の素晴らしさの前では、三谷幸喜本人が言っていることなど何の価値もない」のだ

 

そのくらい「素晴らしい作品」であり「素晴らしい作品はみんなで分かち合うべきだ」
という、一見すると理に適ってそうにみえる「ファンの身勝手な本音」が、実に爽快なのだ
なぜなら、見ているわれわれもこの名作のファンであるのだから、
その気持ちは、間違っているとわかっていても、十二分に共感できるのである。
  
そしてこのセリフに説得力をもたせているのは、作家である冨坂友自身が「ナイゲン」という作品の台本を一般に広く公開し、
高校生をはじめとする若いエンゲキ層に既存台本の上演の素晴らしらを広める活動を積極的に行っているということと、

その「ナイゲン」自体が「12人の優しい日本人」にとても近い作品でありまた、「12人の優しい日本人」は「12人の怒れる男」のパロディであるということ、つまり
今回の笑いの太字という作品は、

 

「12人の怒れる男」という作品が大好きなファンがつくった「12人の優しい日本人」という作品のファンが作った「ナイゲン」というエンゲキ作品の解説

 

みたいな作品だよなあと、思ったのである。

 

 

パクるということに込められたメッセージ性、「パクる」とは「盗む」からくる言葉であり、窃盗は当然よくないことではあるが、
盗むという行為は大前提としてそのモノに対する愛情があって初めて成立する行為である

「欲する」とはつまり「愛する」ことであり、その想いゆえに「手に入れたい」から「盗む」わけである。

 

作品に対する愛があるからこそ、パクるという行為が生まれ、となればその行為をただ「悪」とみなせないのではいか・・・・?

 

という壮大な裏メッセージが込められた作品だと、そういえなくもなくもないのではないだろうか??ん?何書いてるかわかんなくなってきたよ・・・

そうそうこの感じ。観客が「この人たち何言ってんの??」という気持ちに最終的になれれば

その作品は間違いなく成功したコント・・・ごめんコメディであるといえるのではないでしょうか?

 

最後に。あえて、あえて悪い点を挙げるとするなら・・・・

果たしてオリジナルの「笑いの大学」を、そして演劇を全く見ない人がこれを見たとして、

純粋に楽しめるのか??

今回のアガリスクエンターテイメント「笑いの太字」はそういった意味での

「オリジナリティがある作品」といえるのだろうか??

さーてみなさん、それぞれ、議論してくださいよ。

「シンゴジラ」にしろ「君の名は」にしろ、いい作品てのは観覧後に客に議論の余地を与えてくれる

そんな作品だとおもいますよ。

 

 

ひとことで総評:

「笑いの太字」こんなに面白いと思わなかった。

おもわずずっと休んでいたブログを再開しちゃうくらいに

面白かった。なんか悔しい。

こんつわ。川村だす。

既にご存知のお方もござりましょうが、

最近はすっかり、ツイッターツイッターしていました。


いや、今もしています。



ツイッターを始めたのは、今年の8月くらいですかねえ?


やってるウチにすっかりハマリまして、


認めたくはないんですがええ。ハマリまして。


だって便利なんですもん。いろいろ。


ブログ程長く書かなくていいし、


あと、(いい意味で)適当に読みたいとき読んで、
読みたくないときスルーして、

返信したいときにして、


したくなければほおっておける。


そして一番「ああ、これか!」と思った事は、

俺が今までブログで書いていた、ほぼ(あとで読み返せば)どうでもいい内容の事って、
 
まさにツイッターで「つぶやく」程度の事だったんだなって、


そう気付いたのでした。


だから、ブログとツイッタ両方やる意味はねえな、と。



しかしですよ・・・

しかしながら・・・・・


ツイッタやってない人って、やっぱり山のようにいるわけですよ。

mixi中心な人、そして、それすらやってない。直接「サル劇」を覗きに来てくれる人。


だからこの「サル劇」からも、まだまだ発信していかなアカンのやなぁって、

思いました。


ツイッタにはツイッタの良さがありますが、ブログにしか書けないような事も

やっぱりありますんで、ここからもいろいろ情報をお伝えします。


二つを上手く使い分けたいですね。


太陽と月のように、海と川のように、そして・・・任天堂とセガのように。


だもんでまた、サル劇やりまんがな。


ツイッタではわからん川村。こっから発信していきまんがな。











そういうわけで、校内一のキモ男子のオレ(山田和夫)は、

明日から夏休み、つまり二学期最後の今日、

ちなみにオレの誕生日でもある今日、


校内一の秀才、池田伸樹を放課後の教室に呼び出した。



オレが死ぬ前に、首吊りか飛び降りか決めてないが、


とにかく死体になる前に、


池田に頼みがあったから。


コイツにしか頼めない、まさに

「一生のお願い」

というやつがあったから。




だがしかし・・・



いざ呼び出した池田はなぜか・・・


いつもと様子が違う。
なにかがおかしかった。


確かにオレは、

校内一のスーパーアイドル
谷村さやかの、


スクール水着を盗んだ。
いや、盗んだ事になっている。

犯人はまだわからない。



でも、さすがにコイツが、
我が校の理想男子No1の池田が、

犯人だとは思わなかった。

なんなら今でも思っていない。


しかしコイツが、池田が自分でそう言っているのだ。

「山田、それ、俺が盗んだんだ。そんでお前の机の中にいれたんだよ」

「山田、オレからのプレゼントだ。お前、好きなんだろ?谷村さやかの事がさ。」



え・・・・?
は・・・・?

マジで・・・・??????


いや、コイツが言っている事もおかしいが、

それより何より、オレが驚いたのは、


池田自身が、池田そのものがいつもと違うのだ。

胸の名札は「3E/池田伸樹」

何度確認してもそれは間違いない。
だが、目の前の男は池田ではない。

なんというか、言葉では全く上手く説明できないが、
明らかにいつもの池田と違う。俺の知ってる秀才君ではない。


オレと池田はほとんど接点がない。
会話を交わした事もほとんどない。


でもオレは、いつも池田を見ていた。遠くから。

距離が遠いからこそ分かる。

今オレの目の前にいるのは池田ではない。


「お前・・・・誰だ???」



思わずオレは言っていた。水着泥棒の犯人よりも、
今は目の前のコイツの事が気になる。

なんというか、違和感。気持が悪い。
不安感。背中が冷たくなっている。


そう・・・・恐怖・・・というやつか。




目の前の、池田ではない池田は、
薄気味悪く笑った。

そして・・・


「二郎。オレは二郎だよ」



そういって、池田はオレの目の前で、

床に崩れ落ちた。










「おい!おい!池田!おい!大丈夫か?」

心臓マッサージってどうやるんだ??
それよりあれか?あれなのか?
人口呼吸ってやつなのか?

オレ、男だけどいいのか?

男が男にしても、効果があるもんなのか人工呼吸。


と、アタフタしているオレの目の前で、池田は目を覚ました。


たぶん、ほんの数分、いや数秒の事だったのかもしれない。



池田「ああ、悪い山田、大丈夫だ。オレまた・・・」

オレ「池田?お前池田なのか?池田ノブキか??」

池田「ああ、もう大丈夫だよ。驚いたろ。悪かったな」

オレ「お前、どっか悪いのか?先生呼んでこようか?」

池田「いや、そうじゃない、そうじゃないから、大丈夫」


確かに、今の池田はさっきの池田ではないようだった
(ややこしいな。)

目覚めた池田は、いつもの、秀才君の池田伸樹だった。



そして、ここから、
オレと池田という、二人の中学生男子の、




いや、谷村さやかも含めて三人の、


なんというか、複雑で難解で、
とても人には説明できそうにない、


そんな物語が、始まるのである。




池田「でも驚いたよ。お前がオレと同じだったとはな」

オレ「同じ?同じって何がだ?」

池田「だから病気だよ。それでオレを呼び出したんだろ?」

オレ「病気?お前やっぱり病気なのか?てちょっとまて、オレも?
   オレも病気なの??」

池田「え?山田お前、ひょっとして、まだ気付いてないのか?」

オレ「気付く?何にだ?」

池田「・・・・・・・・・・・」

オレ「どうした池田?なんとか言えよ」




そして、池田はこう言ったのだ。


山田、お前がきちんと理解できるかは分からない。

でもこれは事実だ。だからはっきり言っておく。


おそらく、オレとお前は同じ病気だ。

自分の中に、別の人間が存在する。

別の人格が存在するんだ。

何人もの人格が、交代で表に出て来る。

他にもいろいろな呼び名が存在するが、

これは主に、




『多重人格障害』



と言われる病気なんだよ。

   





つづく











オレが自分は夢遊病なんじゃあないか、と疑うようになったきっかけは、
歴史の教科書だった。




そう、歴史の教科書といえば落書き。落書きといえば歴史の教科書。




他の男子生徒のそれと同様に、オレの教科書の聖徳太子やらペリーやら板垣退助らは、
全て豪眉で、眼球は垂れ落ち、額には「肉」「米」「中」の文字が刻まれていた。


他にも、教科書の隅っこにはパラパラ(マンガの方)ドラえ○んが細胞分裂しているイラストや、
原哲夫風のサザエさん等、数々の名作が残されていたが、





ある日その中から、絶対に自分では書かないものが、発見されたのだ。






①難解な数学の数式・・・



前にも書いたが、オレは頭が悪い。その中でも特に理系の教科が大の苦手なのだ。
そんなオレの教科書に、(しかも歴史の教科書に)見たこともない、難解な数式が書かれていた。



それも一つや二つではない。ページの隙間にギッシリと。
パッと見るとそれは、まるで小さい虫が無数にはっているようにも見える。
初めてページを開いた時は、授業中にも関わらず、ゾッとして思わず声を上げた。


オレは、日常から変人扱いを受けているから、周囲はなんとも思わなかっただろうけど。



②周囲に対する、誹謗・中傷。


オレは周囲から「気持悪い」と思われている。暗いし、友達もいない。
「出来るだけ関わりたくないヤツ」ランキングで校内一位の男だ。


それは認める。しかし、オレは周囲のヤツらを憎いと思った事はないし、
何か具体的に制裁を加えようなどどは、思った事もない。


いや、いい人ぶるつもりは毛頭無い。そんなんじゃない。


「面倒くさい」のだ、単純に。

人と関わるのが面倒くさい。一人で結構。誰も近づいてこない事こそが快適。
どうぞこのまま放っといてくれ。と、思っている。


だが、教科書の落書きに現れた文章は

「全員殺してしまえ」

だの

「校庭の隅の焼却炉に、ガソリンのポリタンクを入れておいたら火事になるかな」

だの

「屋上で遊んでるやつなんて、簡単に突き落とせるだろ」


だの・・・・陰湿で、何かの憎悪に満ちている。



なにより、具体的だ。




これも初めて発見したときはゾッとした。誰かが勝手に教科書に書いているのだとおもった。
でも犯人の目星はつかない。筆跡からみても、オレが書いたとしか思えない。


オレじゃない。つまり「もう一人のオレ」が・・・・


そして、二学期最後の日、つまり今日。
その「もう一人のオレ」はこう書き記していた。


「今日、いよいよ決行する。」


今まではページの隅に書かれていた言葉。しかし今日は違った。
教科書の背表紙に、大きく書き付けてあった。


間違いなく、もう一人のオレが、オレに、何かを伝えようとしたのだ。




そして、退屈な終業式の最中に、いつものように眠りに落ちた俺が目覚めると、
そこは誰もいない教室。オレの机の中には・・・・・・





女子用のスクール水着が。持ち主はいわずもがな。
谷村さやか。







昨日のホームルームで盗難があった事が伝えられ、
クラス中が騒然となった原因の、あの水着だ。


決行って・・・・女子の水着盗む事かよ。
もう一人のオレの、犯行の小ささに安心はしたが、
我ながら情けなくもあった。





そして、オレの中には確信が生まれた。








オレは夢遊病か、それに近い病気だ。

今までは「変態」と、周囲に言われるだけで、

本人に自覚はなかった。

後ろめたい行為も、した事はない。

しかし、このまま行けば・・・このままでは、いつかもっと大きな事件が起きる。

すぐに手を打たなければならない。











よし、死のう。

ちょうどいいタイミングだ。

もう生きてる事そのものが、面倒くさくなってきていたところだ。

何より、オレは恋をしてしまっているのだ。



相手はよりによって我が校のスーパーアイドル、

全校男子の憧れの的、谷村さやかに。



想いは叶うことは無い。
というか伝わる事が先ず無い。
自分でもよくわかる。



相手にされるはずが無いのだ。






例えば仮に、オレが谷村に告白なんてものをしたとする。


結果は明白だ。




相手は、谷村さやかは、気持悪がって、
どのように対応したらいいか分からなるだろう。


つまり「引く」だろう。


周囲だって黙っちゃいない。俺に制裁を加える谷村ファンは
当然いるだろう。だがそれは小さいことだ。

大きな問題は、彼女自身の経歴に傷がつくということだろう。


「山田和夫に告白された」というのは、


女子にとって最も不名誉なことなのだ。間違いなく。







オレはもう、勉強や日常生活の全てが面倒くさい。

この先の人生に、何か希望があるわけでもない。

なりたいものはない。やりたい事もない。

オレごときがいなくなったって、

この世界が困る事なんて一つもない。


うん、死ぬための条件は揃っている。







だが、最後に一つ・・・・

やり残した事が一つだけある。




そしてオレは、池田伸樹を呼び出した。





というわけだ。













オレがよく気を失うようになったのは、

かなり昔からだ。






よく覚えてはいないが、たぶん小学校3年生の時、


親の仕事の都合で、引越しをした。


今思えば大した距離ではない。県をまたいだわけでもないし、

自転車でも一時間ちょっと走れば行ける距離だ。




だが小学校三年生にとっては、それは大きな事だった。


幼稚園か、それ以前から一緒にやってきた友達とは、

もちろん離れ離れになった。





小さかった上にメールなんてものはまだなかったから、

当然音信不通になる。


新しい学校には、なかなかなじめなかった。

環境に問題があったわけではない。






たぶん、オレが勝手に殻に閉じこもっただけだろう、

しかし、思春期の殻は固く、厚い。



一度入った殻の居ごごちはかなり良いもので、

反対にそこから出るにはかなりの勇気がいる。


オレは勇者でもなんでもないから、勇気なんてものは

持ち合わせておらず・・・・






つまり、そこからオレの「精神的引きこもり」生活が

スタートしたわけだ。





その当時、「気絶」というものが、いまいちピンときていなかった。


ただ、とにかく、人間関係であれ、勉強であれスポーツであれ、


「面倒くさい」事が目の前に横たわると、

突然膨大な「睡魔」に襲われるようになったのだ。






授業中はもちろん、放課後、休日、とにかくオレはすぐに眠くなり、

所かまわずガンガン寝た。


理由はわからない。とにかく「面倒くさい」と感じると、やってくるのだ。




睡魔が。




じゃあ寝るしかないだろう。



結果として成績は落ち、


スポーツもできなくなり、友人関係も、崩壊した。




でも、それでもやっぱりアイツはやってきて、オレはあいつの思惑どうり・・・


睡魔がくると、寝るしかなかった。





理由なんて、考えた事もなかった。

そして、そのせいで自分の人生が、

どうにもならない所まで来ているというのにも、


当然、気付いていた。







だが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



だが、中学に上がった頃から、様子がおかしい事に気付いた。

おかしい。




おかしいのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




どうやらオレは、『眠っている』わけではないらしい・・・・

なぜかというと、


『オレが寝ている間にも、オレは起きて、動いている』


という事が、

周囲の声で少しづつ分かってきたからだ。





え??なにそれ???



となると、これは『病気』なんだろうか??


オレは実は、『夢遊病』なんだろうか・・・・



オレが「死のう」と決心したのは、


実は



この『病気』が原因のほとんどを占めているのだった・・・・




つづく
夢から覚めた時、目の前には谷村さやかではなく、池田伸樹が立っていた。




池田伸樹が、

池田伸樹・・・・

池田なのか?お前は????




その時の池田は、背格好は確かに池田伸樹だったし、


何より胸の名札が「3-E/池田伸樹」だったから、


池田に間違いなかったのだけれど、







オレが知っている池田伸樹とは、やはり違って見えた。

いや、実際に違っていた。そう。まるで別の・・・




池田「おどろいたよ山田。お前もか。」




は?何がだ?何がオレもなんだ?そして、お前は池田なのか???





オレ「え?ごめん聞いてなかった。今なんて???」


池田「・・・・戻ったか」

オレ「もどった??」


池田「おまえ・・・山田和夫だろ?」






何言ってんのコイツ。この教室にはさっきからオレしかいねえじゃん。




オレ「そうだけど・・・え?どういう意味?」


池田「まさか、おまえもそうだったとはな・・・」






だから、何がだよ。気持わりぃぞお前。






オレ「池田、どうした?お前なんかおかしいぞ」



左手の女子用、

いや谷村さやか専用スクール水着は、
オレのヘンな汗でじっとりとしていた。


昨晩4時間かけて書いた右手の遺書は、
たぶんもうシワクチャになっている。



池田「大変だったな、山田・・・・」





そのとき、オレは突然気付いた。

よくある「ハンマーで頭を殴られたような衝撃」

というやつが来たのだ。



いや、本当に殴られたら即死だから、

「プラスチックバットで殴られた衝撃」


とでも言っておこう。

とにかく気付いた。







コイツは池田ノブキじゃない。







もう一度、「JOJOの奇妙な冒険」風に言おう(オレの愛読書だ)


「コ、コイツはッッ!池田ノブキじゃあないッッッ!!」








なぜそう思ったのかは分からない。

でも、明らかにさっきこの教室に現れた池田伸樹とは

空気が、雰囲気が違う。




容姿は変わらない。しかし、内側は確実に変わっていた。

なぜこんな事が起きた?

コイツはベテランの大御所役者ではない。

ただの15歳の中学生なのに。





オレはどうしたらいいかわからなくなった。

『ドラクエⅢ』で言うところの「混乱した」の意味が、今分かった。





オレは混乱していた。コイツに話さなきゃならない事があるのに、

それは一時どうでもよくなってしまった。