拗ねていると自覚できるようになってきた。今までは感情に支配されていて、そんなことすらも解からなかったと思う。
だからといって、崇高な人になれたわけではなく、自分のスケールで描いた暴力をまき散らしている。頻繁にそんなことを繰り返しているのだから、狂人だと思う。
スマートフォンの普及に比例して、嫉妬心は大きく成長してきた。気が付いたら、スマートフォンの画面に集中して、自己顕示欲の塊を探し続けている。便利なもので、探すまでもなく自動的に途切れることもなく再生してくれる。この時間を見直すのが最近の課題である。後悔が先に立つこともなく、反省の繰り返し。どうしたものかと考えても、端的なアイデアしか浮かばない。今ひらめいた、バッテリーの容量を小さくするのはどうだろうか。これも端的だと思う。
観るものを変えればいいのかもしれない、他人の不幸や悲しみを好んで見る趣味はない。ふりだしに戻って自慢投稿を観ることになる。
他人に自慢できることはないだろうかと考える。大衆からとびぬけているものは何も持っていない。それでも他人と呑んで喋れば、非常に小さな自慢話になる傾向にある気がする。だから人はお互いに嫌気がさしてくるのかもしれない。飛びぬけたもの以外は、自慢してはいけない社会ルールはないし、相手の受け取り方で自慢の定義も変わる。小さな問題かもしれないが、酔いが醒めているときは反省してしまう。次回こそはと、グラスを持ち上げるたびに軽口をたたいてしまう、無理をしているとどこかで破綻してしまう。すべてアルコールの責任にしようと思ったが、今後の付き合いを考えれば得策ではない気がする。好きで一人なわけではないのだが、ひきつづき黙って呑む練習をしようと思う。