成長するための努力を妨げるものの一つにアルコールがある。解っているけれど辞めるつもりはない。けれど呑むタイミングや量は調整できると思っている。深く依存している人も同じように思っているのかもしれない。同じ穴のムジナだとは感じている。休暇中の昼間は呑むのを控えようと思い、さっそく実行している。

 早朝に起きて運動して読書、このあと出かける用事の無いときは朝食の調理中にアルコールが入った缶を開けている。今回は料理をせずに冷蔵庫にあるものを食べる。今日は中庭の手入れをしようと庭にでる。中庭の草刈りを行い、庭木に肥料をまきながらプランターの野菜種類を増やそうかと考える。アルコールを呑んでいないので買い物にも出かけられる。しばらく考えて、出掛けるのは億劫なので却下となる。出不精なのはアルコールのせいではないと思う。汗をかいたが、シャワーをあびればアルコールが入った缶を開けたくなってしまう気がして却下。体を動かすたびに水を飲む、まだまだアルコールを追いたしたいとは思わない。なぜかと考えてみるが、胃袋が満ち足りているのだ。朝から活動しているから朝食もとっているし水分も行き届いている。つまり、アルコールと食べ物はセットなのだ。別のケースを考えてみる、書斎に蒸留酒もあるのだが洋菓子もセットで常備している。食に関連することをしていなければアルコールがなくてもいいのだ。次の難所は昼食の用意である。休暇中なのにインスタント麺は避けたいから、料理することになる。頭をよぎるのは、アルコールを呑まない理由がないので呑んでは?と堕落した自己意識の囁き。予定の無い日を振り返れば、朝から呑んでいないときでも昼には呑んでいる、どうしたものかと考える。自分がやりたいことは、アルコールを呑みながらでも実行できる事ばかりである。深酒にならなければパフォーマンスは落ちないと思っている。それは幻想で必ず深酒になることも身に染みて解っているはずなのに。繰り返される。