毎週末に予定を入れていき、週末が待ち遠しくなるように日程を調整する。予定を空けて行き当たりばったりの日々を、繰り返し過ごした反動なのだと思う。けれど、予定された日を過ぎるころには、充実したとは言えない感覚になってしまう。生産性のない何も残らないような虚無感に襲われる。実際には何も残っていないわけではない、得た情報や経験はインプットされている。形だって残っている、今までなかった銘柄のアルコール瓶が自宅のカウンターには所狭しと並んでいる。それでもどんなイベントであっても虚無感はやってくる。あとで記憶を振り返ってみても虚無感はそこに居座っている。どんなに楽しい瞬間を感じていても、虚無感がやってきて充実感が座る予定の椅子を占領してしまう。古い友人の口癖いを思い出す、人生は椅子取りゲームだと言っていた。その友人は別のことでその台詞を吐いていた。充実感が座れないのであれば、虚無感と仲良くしてもいいと考えている。虚無感が喜んでくれたならば、もうそいつは虚無感ではなくなってしまうだろう。黒が白になることはないので私の中から消えてしまう。せっかく友人になった虚無感がなくなってしまって、喪失感に支配された私が虚無感になる。
アルコールが体内にあるときと無いときを比較して、あきらかに無いときのほうが身体能力や思考能力は高い。だから努力をするときはアルコールを呑まないほうがいいことを理解しているし、能力が最大に引き出されるほうがいいに決まっている考えだ。それでも呑み続けて酩酊を繰り返している自身は、アルコールに依存しているのだと思う。けれど仕事や乗り物を操作するときは呑んだりはしない。そんな場面で、自分を説得して呑んでもいい理由を探したりもしない。ここは自制が出来ていると思っている。だからもっとアルコールの量を自制できるんじゃないかと考えるときがある。充実した人生を目指すためにも、アルコールをもっと自制したほうがいいと気付き始めている。本で読んだのだが、アルコールは嗜好品ではなく薬物とカテゴリー分けされている。私にとってアルコールは嗜好品である、今見直していくときなのだと思っている。どうやって。