自費出版した本を人前にだすために参加できるイベントを探している。売り物が一つしかないことが成立するイベントを探す必要がある。友人からの情報で、参加できそうなイベントがあったので準備を進める。画集本や漫画ではないので立ち読みして簡単に購入判定はできないと思っている。売り物として、最初の印象は非常に重要だと思っている。イラストをつかったポップを立ててみようと考える。出店者どうしの繋がりのために名刺も必要になる。イベントは今月で出店日は迫っている、いずれも印刷屋に依頼する時間がないので家庭用プリンターで今回は乗り切ろうとうと考える。けれど、自分に納得できるものが出来ない。自分が納得や妥協できないレベルでは出店する意味が薄れてしまう。何度も名刺を印刷して少しは妥協できるレベルのものはできた。あとはポップである。ポップの草案がきまって工作の台紙などの画材を買い物に出かけたのだが、ついでに酒屋と食料品店による。そして、だらしない酔っ払いの完成である。それでもやりたい事に変わりはなく、酔っ払いながらイベントの用意を進めている。

 

 先日古い映画のリバイバルに劇場に行ってきた。名作と呼べるほどの大衆受けがよいものではなかったのだが、私にとって感性を刺激するものであった。おもわず物販でポスターを購入してしまう。荷物になることは解っていたのだが、劇場公開の間しか販売しないとのことなので一期一会と思い購入。帰宅してから広げてみると指定した柄ではなかった、いい加減な店員を恨む。電話でクレームをいれたところで、お互いに気持ちがブラックになるだけなのでこれで我慢しようとおもう。この状態のことを泣き寝入りと他人が言うのだが、その言葉に心を荒立てられてしまう。くだらない意地がまだ自分に残っているのだと思う。電話はしないし、恨んだ気持ちはもう流した。その言葉で油を注いだ第三者は、そこに参加することもなく悪びれることもなく何もないのである。今回の事例は小さなことで、どう転んでもいいようなことだと思っている。世論をみていて思う、自分の意見を簡単に述べてしまう人は無責任な人が多いのではないのかと。