自分の行動と言動にいつも反省している。あの発言はよくなかったのではないか、あの行動はよくなかったのではないか、自分の判断ミスを反省する。表情はまずかったのではないか、他人への反応はまずかったのではないか、無意識に行動していることに関しても。人に笑われているのではないか。馬鹿にされているのではないか。他人の評価ばかりを気にしている。他人と一緒にいる時間が長ければ長いほど、比例して反省することは増えていく。そして、悔やんでいるだけで次に生かせないと今も反省する。
昔はよく、お気に入りの映画を何度も繰り返して鑑賞することに満足していた。今は、同じ作品を観る時間を別の作品にあてて、手当たり次第に新しい作品を鑑賞するようになった。これは成長なのではなく変革だと思う。同じ物を掘り下げていくのは、すばらしいことだと思っているし、簡単に出来ることではない。手当たり次第の作品を消費する方が簡単だから、どちらかと言えば退化なのかもしれない。けれど、それは目線だけのものであって、自分がどう評価するかだけである。私は成長だと思っているし、それが功を奏して他人に対する柔軟性的なパラメータは、大きく向上していると評価している。映画作品の数は私の寿命以上にあり、すべてを消化することは出来ないだろう。同じものを繰り返し観ている暇はないのだが、何度も同じレコードをかけている時に、矛盾を感じてしまう。
最近は気になったイベントには、極力参加するようにしている。私が行くイベントは他人とコミニケーションをとる場面が多く、自分と違う環境で生活している人達の話は面白いし、自分の糧になる。先日は他府県のイベントに参加して、充実した二日を過ごさせてもらえたと思う。その場面での自分の立ち位置を振り返ってみて、自分は受動的な人に対して能動的に動く人であり、少し無理をしているようでしんどい部分もあった。イベントを開催する人が、全体のバランスを調整すべきなのだろうが、参加人数が多いと対応しきれないのだと思う。他府県で開催ということもあり、関東や中国地方から単身参加されており、参加した人の想いを想像したとき、自分はもっと受動的にならないといけないと反省することが多かった。私の価値観なのだが、皆の満足度はイーブンでなければならないと思っている。私は開催側の人間ではないし、開催者を崇拝している人でもない。損得に関係なく、同じように参加している人が、個人的に楽しめなければならないと思う。だから、すこし喋りすぎたと反省している。