朝食にシジミ汁をとるという習慣は身についたと思う。インスタントだけれど、身体にいいと思い込んでいる。インスタントの何がすばらしいかは、調理時間がないことである。お湯を沸かすだけで、注いだ後に3分待つこともないのだから。週末は朝起きてやりたい事が沢山あっても、やる気が起きない。イベントの日であってもやる気が起きない朝もある。そんな無気力でも朝食をとることができる。何も考えずにお湯を注ぐだけで、切ったり盛ったり、外観を彩ることも不要。

週末に習慣づいた事がもうひとつある。早朝のウォーキング。朝起きてシジミ汁を飲んで、歩きに出かける。コースも決まっていて、最後に階段を昇り降りする。足腰に不安を感じることで導入している。1段15cmの階段を136段。計算すると204Mの高さを昇り降りする。一往復だけれど、ちょっとしたランドマークタワーを昇って降りている。何時も心に否定的な意見があって、1週間に一度程度のトレーニングは時間の無駄だと囁いてくる。血肉になるかどうか、科学的に証明されているかもしれない。賢い人達は効果における損得を考えるだろう。自分は考える能力がないのではなくて、考えたくないから行動しているのだと思う。この程度のトレーニングだけではボクサーのような肉体は得られないことは解っている。

他人が一日で出来ることを、何日もかけて実行する。自分の能力を他人と比較することが無駄なことは、理解しているつもりだけれど何時も悲しい。毎日自分のために実行している習慣が、実って何になったのか解らない。期待をしているわけでもないので、結果が欲しいわけでもない。ただ継続するものが欲しかったから、沢山集めた結果が現在である。だからもう得られていることになると思う。

 

 最近日本酒を呑む機会が多くなっている。酩酊率も高く再現性は高い。酒蔵の人と直接話ができるのも興味深く、日本酒にひきつけられる要素のひとつだと思う。話をきけば、自社製品に愛情をもっていると感じてしまう。売れればいいだけという影はみじんも感じない。商売を考えたときに、もっと売りあげを上げる方法はあるように思う。そうしないのは何故なのかわからないが、プライドのようなものが根底にあるのだと思っている。勝手に想像して羨ましく思う。

私は比較的大きな会社に所属している、色々な考え方の人がいる。皆同じ方向を向いてはいない、その中で私も他人と違う方向を向いて仕事をしている。

 

 駅のホームで遅延した電車を待っていると、通学中の学生集団とタイミングが重なる。仲間同士でじゃれあいながら、さわいでいる。体が疲れていたので、ベンチに座って本を読んでいるのだが、隣の席で周りが目に入らない興奮した学生達のはしゃぎぶりが、若い自分を振り返ってみているようで辛く、うざったらしい。どうしたものかと考えてみたが、イヤフォンの嫌いな私は移動して離れるしか思いつかなかった。そんな日に限って雨が降っていて、学生の集団がいないホームの先端には屋根がないのであった。学生達を憎むのは筋違いであると、脳内会議では可決されている。