一人で行動するひとつに美術館がある。先日も時間があったので美術館に行くと、特別展を開催していて、興味があるわけではないがチケットを購入する。そのアーティストに、興味を深く感じたりインスピレーションを感じれたときは心躍る。世界的に有名なアーティストの展示には集客が期待できるし、物販にも力が入っている。いろいろな人がかかわっているから、物販の売り上げも大切なのだろうと思う。作品を満喫し、展示室の出口に物販があるので、皆財布が緩むのかもしれない。そのアーティスとのファンには、まったく見えない女性客二人組のグッズの買い方はすごかった。クッキーが入った箱を何段も重ねて、ざっくり計算で数万円やわとはしゃいでいる。地方からの旅行客なのかもしれない。私も心躍ったときはポストカードを買うようにしている。単体で買おうと吟味していると、周囲が視界に入らない女性が横から、セットのポストカードをごそっと買っていく。その女性の部屋はどんなことになっているのだろうかと、勝手に想像する。東京などの大都会になれば、特別展の入場に何時間も待つと聞いている。並んでまで観たいものがある人であるれかえっている、都心部に住むと芸術に貪欲になるのかもしれない。
時間があったので常設展ものぞいていく。特別展は人がにぎわっているのに、常設展は貸し切り状態である。美術館にはこれを求めて通っているのかもしれない。贅沢な時間の一つだと想っている。アルコールをサーブしてくれるサービスがあればいいのだが。
チェーン店より個人店が好きだ。手作りであるほど好きであり、通うように努力しているほどである。近年は電子マネーが普及してきたのだが、個人店ではまだまだ現金が必要である。
安定した収入がある身なので小銭に困ることはないのだが、先ほど財部をのぞくと
現金が入っていない。銀行のATMに行くのは面倒であるが、背に腹は代えられないので時間を作る。最近は銀行口座とスマートフォンを連動させることでATMの手数料が安くなるなど、アプリを普及させるために色々な仕組みがある。小さな手数料を節約するために、アプリの設定で1時間経過である。便利な機能は多岐にわたって、いろいろな物事に連携しつづけていく。小心者なので抽象的に不安である。ガラパゴス化していく高齢の方たちにも同情してしまう。
時代の流れには無頓着なのだが、呑みに行けるように準備することには努力を惜しまないのかもしれない。とりあえず明日は呑みに街に出る。