ネットのニュースは理不尽なニュースであふれかえって、映画をみていても理不尽なストーリで、街に出たら理不尽に思えるようなふるまいをする人達が目に入ってくる。どうしたら私の精神は安らぐのだろうか考える私は暇人なのだと、おいうちをかけるように自分の首を絞める。どうすれば自身の感情を穏やかにすることができるのだろうか、答えは簡単でインプットを辞めればよいのだが簡単ではない。

 

 映画の趣味は雑食でどんなジャンルでも観る。最近連続して観ているのはホラー映画である。さらにカテゴリーは分れていて、サスペンス・スプラッタ・ミステリーなど、ホラーといえども説明しなければ他人には伝わらない。好んで観ているのは70年から80年代の作品なのだが、先日観たは90年代である。映像や描写の技術が近代化されてきているのだが、立派なスプラッタ映画であった。シリーズであれば体力が続く限り観るようにしているが、シリーズ化されたものに拍手を送ったことはなく、全体をとおして疲れた苦話しか出てこないような気がする。90年代になると次回作の伏線を張った映画の作り方が多く、まだ引っ張るのかと、芸術作品からかけ離れていくような俗物的な気持ちが浮かんでくる。今回鑑賞した映画は監督が2作目の制作後亡くなっているようなので、正統な続編はないのだろう。暴力的な映画であったので、それでよかったのだと思うのは自分勝手だと思う。

どんな作品であっても、観終わったあとにエゴサーチをして他人のレビューを読むことがおおい。これは他人の意見と答え合わせをしているのだと思う。気持ちがブラックになりすぎるので、ハートウォーミングな作品を間に挟んだのだが、ささくれた気持ちは単純に感動を与えてくれない、歪んだフィルター越しに作品を観てしまう。単純に感動するのも騙されたようで、感情が波経ってしまうと身体が拒否しているのだろうと思う。

 

 同人イベントに参加してみたいと思う気持ちが最近高まっている。参加するには自分も出力できるものを用意する必要があると考えている。自分はどのような作品を作って持っていくか、アイデアは浮かんでくるので後は実行するのみである。そんな脳内会議を数年も続けている。この作品を作るというプロジェクトに関しては会議室を出た事はない。しかし、最近になって私の周囲が影響を与えてくれるようになってきた。自分の行動の変化が、そのような刺激をもらえる環境に結びついているのだ。私の本質には、行動力があると思っている。考えるより先に行動してきたが、いつだって出る杭を打つ者に止められて、それが続いて今の環境に収まってしまっている。今行動するときである。そのためには、、と考えるのは悪い兆候である。