私が勤めている会社にも毎年新入社員が数十人は入社する。新人が配属されるまでの期間は私が通っている事業所で研修を行っている。
私は直接新人達と交流することがないのだが、駅から会社までの送迎バスで移動するタイミグが同じである。新人達は私に敵意を向けてきたり、悪態をふっかけてきたりするわけではないのだが、すごく騒がしくはしゃいでいるのである。それにかぶせて、新学生達の登校が通勤時間にかぶさってくる。
通勤には電車を使用しているのだが、新人において今まで使っていなかった・知らなかった人は、協調性というものを知らないまま利用することになる。
私は意味もなく朝から機嫌が悪いキャラクタではないのだが、今日は疲れていたせいか感情に波風を立ててしまった。
言葉や行動に示したりするわけではない。けれど自分の表情に感情が出ていることは解る。鏡を見たわけではないが威圧的な表情を作っているのだ。
彼らが何か悪いことをしたわけではないし、自己中心的に公共の場を乱しているわけではない。ただ若く新人であるだけである。そんな理由で他人に咎められることは、誰が見ても理不尽である。
そんな理不尽な感情と倫理的な感情が自分の中で争っていて、私の少ない体力を奪っていく。
自分が正義と考えている倫理的な感情は、一時的に負けたとしても消えることがなく、起き上がって何度も理不尽なものに戦いを挑んでいる。
誇らしい感情の一つだと思っているのだが、中途半端に存在して何度も起き上がって勝ち目のない戦いを繰り返すので、私の感情はかき乱され結果として体力と精神力を使いきってしまう。
この感情がなかったら私はもっと楽なのだと思うが、私はここには居ないだろうし、何処かへ行ったとしても他人が私を裁くだろう。
裁く相手が自分が認めるような正義であれば、納得するのかもしれないがそうでない確率のほうが遥かに高いだろう。
人が人を裁くのは単純なことではなく、非常に難しいことだと想う。
どうすればいいのか分からない。現世も過去もそう感じることばかりだ。
自分の過去を振り返ると、端的な思考で判断してきたことが多かったと思う。常に自分の見直しを考えているのだから、もっとグレーの選択をしていかなければならないと感じている。つまり端的では駄目なのだということ。
対極にある冗長というのもあまりイメージが良くない言葉である。難しい。