書き出したいことは、常に頭の中に浮かんでくる。ペンで書くよりキーボードで打ち込むほうが速くて疲れないからスムーズである。けれどその時に電子機器があることは少なく、思考は浮かんですぐに沈んでいってしまう。重要なことではないと心で思っていても、もったいないと思ってしまう。つくづく貧乏性なのだと思ってしまう。

 

 自分を評価してみると、かなりの怠けものである。会社では評価システムの都合上、自分のことをPRしなければならないし、他人の目に見えてさぼっていれば角が立つだろうから、目立たないように怠けているようである。

本人は怠けていても、私が頑張っているように見えている人もいる。仕事の処理時間や汗水や険しい顔がそう見えているのだろう。調査をしたことはないが、逆に怠けていることにきずいている人もいるかもしれない。

周囲を見渡して、私から見えるあからさまに怠けている人はいない。そのような人を見たいわけでも指摘したいわけでもないので畏まって観察をしているわけではない。まじめに働いているように見えている。

皆、目に映る他人は真面目に働いているように見えているのではないかと思ってしまう。

近年、在宅勤務が市民権を得たので、仕事をする姿を他人の目にさらされる機会は減少している。なので成果が必要になってくる、みんな形にのこる成果を日々せっせと作っている。それが会社にとって利益を生むかどうかを度外視して。

 職業は会社員なので他人にやとわれていることになる。出世しない限り仕事をしようがさぼろうが給料は同じである。努力して出世すればそれなりに給料も増えるが、出世は望んでいないし給料面でも不満はない。人に偉そうに言われるのは嫌いだが。

怠け者だが、楽して儲けるという精神はなくてそれなりに仕事はしているつもりである。

本物の怠け者になれなくて中途半端だと思っている。そんな自分にいつも幻滅している。

 会社からの報酬は私の成果よりも大きい。私個人でブランドネームを持っているわけではないし、高度の技術や知識を持っているわけではない。企業と呼ばれる組織で発生する現象なのだろう。

同じ分野で転職すれば各段に給料はさがるだろう。

 自分に馬鹿正直に問題提議をして、会社の視界がクリアーになるように余分な贅肉をそぎ落として、私のイメージする組織となったとき、私の居場所はなくなっているだろう。祀られることはなく、同じように切り捨てられた贅肉の人達の恨みをもらうだけである。

そんなことをかんがえながら、正直に真っすぐに生きていきたいとは思っている。実現すれば私は存在しないだろう。