私から見える人達は、新年会や忘年会を毎年恒例のようにやっている。

私が所属している団体で、両方開催している元気な団体はない。その時のタイミングで、どちらか片方だけの開催となっている。先日は宿泊付きの新年会に参加してきた。

自分で進んで参加していることなので、つまらないことはない。けれど腹を抱えるほど笑いがあったり、這ってでも参加する魅力があるわけではない。食べ物とアルコール・喋る相手がいるから来年も参加するだろう。

想像してみる。外国人のグルーブで開催する場合、喋る相手がいなくても喋れなくても参加するだろう。多分。

食べ物が無くアルコールだけの会にも参加するだろう。では、アルコールが無くて食べ物と喋る相手がいた場合、参加しないだろうと思う。

面白い話や知的な話が聞ける場合もあるだろうが、それならばライブやセミナーに参加すればよい。魅力の大半はアルコールなのだと考える。

 昔の自分はアルコールに興味はなかった。だから新年会、忘年会というのは関係性の維持や出会いの場としてしか参加していなかったので、行きたくない気持ちが大半だったと思う。だからアルコールを呑まない人には気を使っている。けれど酔いが廻ればそんな紳士なことも言っていないだろう。自分が過去に感じていたように、嫌いな酔っ払いになっているだろう。

私の友人でアルコールを呑めない人はいる。以前その友人と会話をしていたのだが、社会から遠ざかった生活を数年経験して、久しぶりに社会の飲み会の席に出席したそうだが、ものすごく楽しかったらしい。何が楽しかったのかは言葉では表現できなかったが、ぜひ次回も参加したいと言っていた。

 人それぞれに感じるものが違う。新年会にもアルコールを呑まない人は来ていた。求めているものは私と違っている。それを自分の価値観で考えてしまうところは、まだまだ大人になりきれていないところである。もちろん口に出したりはしないけれど、頭で考え心で思っているので、自分を分析している立場からは同じことである。

そんな自分を自嘲する癖もまだまだ抜けていない。

ひとまず新年会や忘年会を単純に楽しめるようになっただけ、大人に成長したのだと自分を褒める。

そして、数年後にこの記録を読み返すことがあれば、自分の成長を感じることができているのだと思う。仮にアルコールを呑まなくなったとしても、精神が退化することはないだろう。

アルコールが消えると何が来るのだろうか。予想もつかない。