知人が運転免許の証明用写真を何度も繰り返し携帯電話で撮っている。気持ちは解るが、口角を上げた写真は許可されるのか疑問に思う。
私は自分の証明写真には無関心なほうなのだが、酷い写真と思うことは多い。
ありのままの自分なので写真に嘘はないにしても、証明写真には目を背けたくなる。
自分を映すものの中に、もうひとつ目を背けたくなるのがフラップトップのカメラである。リモートワークが普及してから、デジタルカメラに映る自分をみることが多くなった。仕事上映らないわけにもいかないので、できる限り自分の映像を視野から外すようにしている。
カメラやビデオに映る以上に、現実の自分のほうが何倍も素敵だと思っているのだろう。どの姿が本当の姿なのか、鏡に映る自分が辛いときもあるから、カメラやビデオの姿はまんざら間違いではないのだろう。
会社のトイレにある鏡はフロアー毎に映り方が違う。3Fの鏡は目を背けたくなる映りだが、1Fの鏡はまだ耐えられる。
おそらく照明の加減か、鏡の扁平率。フロアーごとに変えているとはおもえないが。
だからといって、1Fだけを利用するという選択にはならない。
いつか3Fの鏡も克服するということにもならないだろうが、諦めがつくときは来るかもしれない。そのときは外観という概念が無くなっているだろう。
どうでもいいと思えば、もっと酷い姿に変化していくだろうから、今よりも酷い姿にならないように意識していく必要がある。姿形はあきらめても清潔感は大事である。
週末に街に出て、友人の家で呑んだ帰りにもう一杯と、お気に入りの呑み屋を訪ねてみたが、どこも閉店の準備が始まっており入店出来ず。
どうしても外で一杯呑んで帰りたかったので、チェーン店の牛丼屋へ行く。
クリスマスイブというイベントのせいか、しかめっ面した男性客で込み合っていた。
スタッフは忙しいせいか殺気立っている、こんな時は店の選択を間違えたとよく感じる。無表情で牛丼とビールを呑んで、すぐに席を立つ。
店内に乱雑する環境音を聞くのは好きだが、邪気を含んだものは好みではない。
ファストフードの対価は時間である。呑むことに費やせる時間はたくさん持っているつもりだ。時間を求めていないときに入る店ではないと認識。
店選びをもっと丁寧にする必要がある。
何事も投げやりになってはいけないと再認識した夜だった。