過去に治療した歯は経年劣化によりひびが入り、結果として抜かなければならない事態となった。
今年はそれが立て続けに発生しているから、困ったものである。
抜歯をしたあとの傷の治りが遅い。今よりも若年だったころの治癒力のスピードというのは記録していないので、比べてどれくらい遅くなったというわけではないが、体の不調続きの現状に卑屈になっているわけではない。
食べ物が気管に流れる確率は高くなり、血の止まりと皮膚の修復が遅い。
以前、病院で私の傷まみれの体を観た看護師が、修羅場をくぐってきたんですね、と言われたのに対して、その傷は猫とのじゃれ合いで出来た傷といっても信じてもらえなかった。我が家の猫は大きく獰猛なので、傷は深いのだがそれでも
治るだろうと思っている傷は残るようになった。
歯痛を1週間程度経験して、最終的には抜歯で解決。
歯が一つなくなるのはショックである。
体の一部がなくなったその日は一日眠る。
動物は怪我をしたとき、体力回復を優先させる。
痛みから解放されても、体力が消耗しいてるので回復させる必要があると考えている。けれどアルコールは飲むので自虐的である。
昔は友人との遊びが優先だったと思い返す。
私の今の娯楽は本や映画の鑑賞。自宅で一人で完結する。
娯楽は回復力の低下や体力の低下とつながっている。
必然的にそうなったのではなくて、自然な流れでそうなってきていることに、面白いと感じる。
一人でやることは沢山ある。残りの人生を費やしても全てを消化することは困難だと思う。そこまで集中力もない、出来るとは思ってもいないので、挑戦しようとも思わない。
私の周りには、未読の本や映画があふれている。他人が存在している以上、新しいものは日々増えている。
人恋しくなることがある。だから飲み歩いているのだとおもう。
けれど、ポケットの小銭も続かないし、なにより家に帰る行為が面倒だ。何事においても帰る行為は嫌いだと改めて気づく。
一人酒場にいて、他人の思考に触れることで、新しい情報をもらえてそれが刺激材となる。
猫が家族でいるので人肌が特別ほしいわけではないが、日本語で会話できる相手が欲しくなるときがある。
酒場にて女性に話かければ、ナンパと受け取られかねないし、男性に声をかけても勧誘と勘違いをされる。いずれも違うので、そう思われるのには内心腹が立つ。
私の外観がそうイメージを連想させているのだろうが、見直す予定はない。
同じように他人に声をかけられたとき、自分もそのように思ってしまう。
純粋に他人とコミニケーションをとるのは難しい。
友人たちと呑みにでかけるのは楽しいが、新規の刺激が欲しい。だからこれからも一人で呑み歩くだろう。