美しいものが好きで、汚いものは観たくない。
汚いものは現実世界にあふれていて、観たくなくても視線はそこに集中してしまう。例えば、着飾った建物の隙間だとか、壁の内側だとか、観たくない部分に無意識に視線がいってしまう。目立っているわけではない。
美しく魅せたいものに対して、皮肉っているのかもしれない。
会社からの帰路で、駅から自宅まで歩いている。古い住宅街の庭にある自家用車は、クラスやサイズに関係なく、水アカひとつなく艶やかに表面が磨かれている。皆きれい好きなのだろうか、私の心情がそう見せているだけなのか。
会社の建屋にあるトイレの鏡について、それぞれの階層にあるトイレの鏡に映る自分は違う。鏡の扁平率が違うのか、光の当たり方が違うか、1Fのトイレで観る自分が一番、私の美的感覚でぎりぎり許容できる範囲である。
それ以外は目を背けてしまう。自分への感想なので、他人に対する基準とは違う。
人それぞれ美的感覚や価値観が違っていることは、最近理解し始めているが、
他人に見える自分は、どれが一番近いのかなどと考える私は、自足にほど遠い。
最近の心情メモに、腐らないようにと記録してある。
冷蔵庫の食べ物もそうなのだが、心のことである。
私の心はすぐに腐る。拗ねることで他人に影響を与えることが多い。
振り返れば、反省することばかりで環境が良くなったことなどない。
周りの他人が気を使ってくれていることに反省する。それは心の中で日増しに大きくなりながら自分の首を絞める。
耐えることに気力を使い果たして、改善には至らず失敗は繰り返される。
自己中心的な考え方を変えたいと思っている。
他人の気持ちになって考えようと思っても、自分の気持ちが管理できていないのに、出来るわけがないと答えをだしてしまう。
ここで思考は終了していたので、進歩も対策もなく失敗は繰り返されていた。
深くほりさげると、
自分の気持ちが整理できていないから、自己中心的に至っているのではないかと考える。
自分が嫌なことを、他人にしている事実は認める。
他人の心を読んだつもりでも、私が勝手に創作しているだけである。
変えられるのは自分だけなので、自分の行動と考え方を変える必要がある。
振り出しに戻った気がするので、今までにない行動を一つ取り入れる。
口数を減らす。
抽象的な宣言だけれど、意識をもって行動することは今までに、、
これだけでは、最初だけ実施して終わりである。
成長することは難しい。