職場には今月で定年退職を迎える方がいて、一緒に仕事をしてきた仲もあり祝福を送る。
今年はことある場面で、その方の価値観や人生感などを聞く機会が多かった気がしている。
”神様は乗り越えられるハードルしか与えない、どんな大きな壁に当たっても、結果はどうであれ、そこで止まることはなく物事は流れる”
私も頭の中にある考え方である。その方も今まで何度かは大きな壁には遭遇しているはずで、経験から得られた考え方という意味で、背中を押してもらった気がしている。
生きていると悲観する事は多々あって、残念なことに首をくくる人もいる。
自分は首をくくらないように、この考え方を反芻する。
他人に対して偉そうに振る舞う人が嫌いで、見聞きするだけで苛立ってしまうことが多い。
自分も立場変われば偉そうに振舞っているだろうと、何度も自分を振り返って反省を繰り返す。
他人のふり見て我がふり直す、日々心掛けることで己が嫌いな人物になるのは避けたい。
オフィスでしかめっ面で座っていれば、他人は話かけずらく追加の仕事は増えないかもしれないが、私にあったキャラクターではないと思っている。
自分らしくあるために、何度も姿勢を正している。
困っている人や、危険な方向に向かっている物事が視野に入れば、自分なりに何とかしようと感情が動くが、言ったもの負けの風習は私をとめる。
得をすることは少なくてもいいが、損はしたくない。
結果として損をしていることは多々あるが、できる限り回避したいと考えている。
そうやって黙ってやりすごしている。感情だけで動ける人物は魅力的だと思う。
私の前頭葉が正常なんだと感じる瞬間でもある。
食事を楽しむ考え方はたくさんあるだろうが、アルコールのない食事に興味がない。車を運転する場合は呑めないから、コストと時間が支配的になる。
他人と同席でも、自分が運転手なら同様である。
自家用車で出かける予定に対して、途中で食事をとる場合を考える。
時間とコストを考え、自宅から調理した食材を持っていく方法が一番有力だと考えた。けれどそれを用意する時間を犠牲にすることになるため、手放しで納得できない。仮に、他人に用意してもらったとしても、感謝と申し訳ない気持ちが生産されるので、これも手放しでは納得できない。
では、ファストフードではどうなのか。物価高による高騰が手軽さを超えている。
いつも最良の答えが出てこない。
自宅のフードストックにスニッカーズやカロリーメイトが常備されているのだと改めて気づく。これらに対して味気無さは感じていない。
それらを食べながら、贅沢を感じられるおにぎりを即席で作れるような器量があったらなと、また考え出す。