右手が不自由である。

楽器を演奏すると困るのが、右手が思い通りに動いてくれないこと。リハビリを開始し始めた頃は、テンポを170に上げていたのだが、指の動きが適当になりすぎるので140に落として練習してきた。

久しぶりに170の曲をやってみたのだが、指が廻らない。

恐ろしいくらい廻らない。絶望を感じる。

指が疲れているのも感じている。

例えば、キーボードのタイピングも動かしにくい、自分でイメージする速度と比べて明らかに遅い。

リハビリをさぼった結果なのか、日々リハビリをするしかないのだろうか。

筋トレはずっと続けなけらばならないから、敬遠しているのに。

続けなければならないという、使命感が私には重たく感じる。

指を動かせないのは、生きていくために大きなストレスになるだろうから、鍛錬するしかない。

先ほど見た映画で、銃を向けられた丸腰の女性が、命乞いをしていて、まだ死にたくないのだとセリフを吐いていた。印象に残ったシーン。

私もまだ生きたいと思っている。だから、今から頑張る。

映画の女性はあっけなく撃たれてしまう。

 

セッションに行く。気分転換にいいと思う。刺激にもなる。

家の中にいたらアルコールに逃げてしまう。日々成長したい気持ちはあふれている。

セッションに行ってもビールを頼んで呑んでしまう。

外出をすると、体中から汗が噴き出して自分が嫌になる。タオルで汗を拭ってもきりがなくストレスだ。暑い季節がもう苦手になってしまったことが悲しい。

 

 発言や日記を一般公開するということは、他人の目に入る確率が大きく上がることになり、価値観が大きく違うと反発も発生する。

私は著名人ではないので、炎上することとは縁がないように考えているが、空想してみる。

例えば、ウクライナとロシアの紛争について、私の考えを発言するとか、身近なところであれば、国内の犯罪やゴシップについてコメントするとか、様々な意見の他人があふれているので、どこかで反発する他人と当たるかもしれない。

反論することに快楽を感じている人もいるらしい。

性癖は自由だが、他人に迷惑をかけない範囲で完結してほしいと常に思っている。

他人と争うつもりもないし、他人のことをとやかく言う人間にもなりたくない。

自分が望んでいないことに巻き込まれるのも避けたい。

生身の世界でも同じことが言えていて、気を付ける必要があると改めて感じている。

 口数の多い私が、今まで無事にやってこれたのは、生身の世界では対面であることで他人はいろいろな思考を働かせているから、過ごせてこれたのだろう。

ネットの世界は対面がないだけに遠慮はないだろう。

文章には気をつけたい。