眠りが浅い。
毎回酩酊以上にアルコールを呑んでいるからだろう、睡眠の質が自分でも悪いことは感じている。
明け方に眼が覚める。覚めたあとは、もう一度寝ようと努力をするのだが困難だ。
成功して二度寝ができる時もあるが、起きた時に体は重たく、逆に寝起きは辛くなる。
睡眠に関していろいろな文献があって、無理に寝なくてもいいようだが。
休日ならまだしも、平日の仕事には影響を与えたくない。
会議などで気を失うことは頻繁にあるが、給料をもらって働いている以上さぼりたくないのは正直な意見だ。
会社の上層部のプレゼンテーションを聞く。政治家も同じなのだが、白けた目線で聞いてしまう。
同じ人間だとして、何を考え、何を思っているのだろう。
プレゼンテーションの中にはいつも真意を読み取れない。
生きている限り課題はやってくる。
小さなものや大きなものが、望んでいなくてもやってくる。課題は傍若無人なのだが、それをどう対応するかは答えはなく個人の考えなのだと思う。
私は基本的に逃げる。逃げ足が速いわけじゃないが、火事が発生すれば逃げるのと同じ感覚だ。方向を間違えて大きなダメージを受けることもある。
先日読んだ本に、いい表現があった。
ある国を誹謗した言葉で、貧困でこまった地域があれば、核爆弾で消し去って、自分たちの意見に反対する者達は首を切り落としていく。
問題解決の一つだろうが、あまりにも端的。
それを堕落していると表現している。
私は端的な考えに悩んでいて、できる限り端的な判断はしたくないと思っている。
自分の思い通りにならないから、力で解決するというのは動物すぎる。
私自身に力があるわけではないが、私より力のない人もいる。
現実なのだが、上下の目線でかんがえてしまっている自分が嫌になる。
考える知能がある人間なのに、端的な判断をする人が周りにあふれていて、私も同じように端的である。堕落している。
どうすればいいのだろうか、それが課題だ。この課題は逃げたくない。
夜明けに目覚めて、2度寝ができなくてこの記録をつけている。書斎から見える山頂に雲がかぶっていて、野鳥がけたたましく活動している。山頂の雲が下に降りてきて、朝靄になっていく様を書斎から眺めてノスタルジックな気分になる。
日常であたりまえのように使っている言葉を広辞苑で調べる癖をつけようと、手元に置いている。
私の体力には重たすぎるのと、文字が小さすぎることが習慣を妨げる。
ブックスタンドと拡大鏡が必要である。
BGMにかけている音楽の歌詞で魚というキーワードが出てきた。
先日、知人とたんぱく質の話をしたときに、肉よりも魚がいいと意見がでた。
魚の油は固まらないからいいのだそうだ。今週は魚を食べようと思う。