知人に、楽譜を書いている人がいる。本職は別にあるのだが、楽譜を書くことも生業としていて、よく売れるらしい。

自分の能力をお金に換算している、能力があることがうらやましい。

自分には何があるだろうか、何年も抱えている悲しみの一つだ。

それをやると、疲れるけれど、みんなにできないことを実現することができる。

そんなものを自分に一つでもいいから見出したい。

 

 私は時間に比例して自分を蔑んでいる。

これは自分のためにはなっていない、根性精神ももちあわせていない。

質量保存の法則が適用させれるのであれば、私が時間に反比例してネガティブになっていることに対して、その分他人がポジティブになっていると考えれば、少しは世の中の役に立っているのかもしれない。

私ごときで他人を幸せにできている。リターンは何もない。望んでいるわけではないが。

 

 暑さが続く。汗がにじむことが私の精神を逆なでする。先輩猫のようにいつもイライラしている。良質な映画を観れば、満足してしばらくは忘れられる。

今日見た古い映画は4時間あった。最後まで観れなかった。その後はアルコール漬け。

マイカーがないことを理由に、自宅にずっと籠っている。

アルコールを摂取しながら。

以前みた映画。

ハリウッドの役者の私生活を描いた作品で、スクリーンのなかでキャラクターを演じる役者は美しく表現されるが、リアルさをだすための私生活を描いた描写は劣化してく役者の悲しみを描いている。それも演技なのだが、リアルさを感じさせるのはやはり、一級の役者だからだろう。美しくはなく、醜く、悲しいけれど。

監督はリアリティーを描きたく、そして表現ができている。

 

 先輩猫は、ゴッホの絵画の前で眠っている。

ゴッホの作品は好きだとおもっていたが、じっくりは見ていなかったのではないかと思う。一般客がルーブルで作品の前にとどまる時間は2秒程度だそうだが、私も細部までみていないと思う。

自宅にあるゴッホはポスターだが、猫のおかげで長く鑑賞できる。

うまく文字にできないが、長時間の鑑賞に耐える作品だと思う。

アルコールがあれば。

ゴッホのカフェテラスという作品がすきで、自宅の階段に置いている。

あらためて見ると、奥深く、ノスタルジーな気分にも浸ってしまう。

アルルはいったことがないけれど。

先輩猫も、ゴッホがすきなんだと勝手に決めつけて創造してしまう。

アルルにある夜のカフェテラスの歩道で、休む猫。それを観光客である私が、見つめている。アルコールの酔いにメリットを感じる、一つのシチュエーションなのだと思う。現実は終電のタクシー乗り場で、冷たい目線をあびせられながら時が過ぎていくのを待っている生活なのだが。