丁寧な人にあこがれる。動作が遅くても丁寧なのがいいと思う。
意外な人が意外なことに丁寧で、たまに危機感を抱いてしまう。
私は自問しても他人から観ても乱暴だ。もったいないくらいに乱暴だ。
丁寧にしようと思っても、物事にとりかかれば、これでいいかと自分だけで答えを出す。料理やプラモデルを作っていても、これでいいかと終わってしまう。
完全にしたものは、人生を振り返っても記憶に無い。
昔とったことのある100点のテスト答案も念入りにチェックすると、採点ミスがあったんじゃないかと思う。
コレクターズアイテムのコンプリートは財力の問題なので、問題ではない。
乱暴をふりかえってみる。
楽器の演奏も乱暴だ。楽譜のルールを守らない。ノリや勢いがあるといえば、誉め言葉ともとれるだろうが、私の場合はただ周りのリズムを流れているだけである。
映画の見方も乱暴。そんなシーンあったかなと思い返すときがある。
ひどいときは登場人物が消滅する。
本の読み方も乱暴。何が書いてあったかと聴かないでほしい。
食べかたも乱暴。肉を箸でつかんで口に運べば、口の幅からはみ出た肉が口元に当たり、熱くて逆上する。熱いカレーライスを掻き込んで、口の中と食道を火傷する。口の中にまだ食べ物が入っているのに、次々運び込む。チョコやキャンディーは全てかみ砕く。
これは天性なのかもしれない。だけど変われないわけではないと思っている。
丁寧にやってみようと挑戦することはある。けれど乱暴な奴は支配的で強い。
勝算はない。
動作が丁寧な人は魅力的だ。何事にも丁寧に接したいと思っている。
そんな人になりたいと思う。
物事の大きなことで挑戦しても勝ち目は今のところない。
ならば、小さく細かく挑戦していけばいずれ戦局は変化すると最近は思っている。
礼儀正しくといつも思っている。
他人には笑顔しか向けたくないと思っている。
人を馬鹿にすることをやめたいと思っている。
人を蔑むこともやめたいと思っている。
自分を攻撃することもやめたいと思っている。
いつも何かを考えている。
刹那で考えたことは見失ってしまっているから、メモをとるようにしている。
メモをとることも忘れてしまうけれど、全部ではないから悲観するのはほどほどに、と自分を励ます。
法則性はまだ見つかっていないけれど、心に隙間風が通ることもある。
そいつが通れば、自分を客観的に観てしまう。
今の生き方は、時間と恵まれた環境を無駄に消費しているように感じる。
もったいない生き方をしていると、悲しみと後悔が心を支配しようとする。
けれど、自分には成長代があると思っているから、100%悲観することはない。