子猫2匹を引き取る。先住猫と合わせて3匹の家族構成となるのだが、厄介なのが先住猫。年齢で10歳程度なのだが、ずっと唸っている。年配の人がずっと文句を言っているように猫も文句を言う。それは自分の思い通りにならないから立腹なのである。人間も同じ。子猫たちは大人の常識などお構いなしに先住猫の心情を逆なでし続けている。

言葉は難しい。普段使っている言葉を冷静にとらえたとき、意味もわからず使っている。立腹。意味はみんなわかるけれど、なんで腹を立てる=苛立つのか?そんな問いをすれば、苛が立つとは?と果てしない。

腹が立つ、虫の居所がわるい、同じところから派生している。けれど苛が立つは出所が違う。感情は同じで言葉だけが違っている。

私は苛が立っても悲しみの感情が勝つ。生きずらいタイプの生命体なのだろう。

 

オフの日は朝からウイスキーを呑む。ウイスキーと表現すべきか、スコッチと表現すべきか悩む。酒税が上がったせいもあり、コストダウンで名のある蒸留酒から、蒸留所が不明(公開していない)のスコッチに切り替えている。アイラ(産地)やシングルモルトであることは変わりはなく文句はないが、たまに高級なウイスキーを呑みたくなる。

 

 本をよく読んでいるが乱雑な読み方である。

本の中身が頭のなかにはいってきていない。それでも止まることなく、目は文字を追いかけ続けている。脳はそいつを咀嚼していない。

闇雲に何冊も平行に読む。

読み方は自然と変化してきた。将来はまた読み方が変化するだろうと思う。本の読み方は人によって違うと思っている。正解はないだろうが、我ながら乱暴な読み方だと思っている。

一冊の本を読み終わって、そいつのテーマは何となく理解したが、出てくる単語や意味、詳細な描写は自分に入っていない。時間だけ消費して無駄な事をしているように映るだろうが、外国の楽曲をBGMとして流しておいて、後日改めて聴くと、どこかで聞いたことがあるかもしれないという記憶にはなっていると思う。

本を読んでいると、本の中身に対して色々な感情や思考が絶え間なくわいてくる。それが水たまりのように溜まって、アウトプットできるものになることはほとんどない。泡みたいに出来て弾けて消えてしまう。失ったものは、その時間ではたいしたことなどないのだろうと思うが、時間がたてば評価は変化するので失うのは惜しい。

失わないために記録をとるしかない。今はそれくらいしか方法が出てこない。

 

一つの作品に対して、ネガティブな意見は、ポジティブな意見と比較しても同じくらいの件数、逆にポジティブな意見のほうがおおいのではないかと思う。