今日は病院で検査のため仕事は休暇をとっている。雇われ人にとって、有給や休日は大切で有効に使いたい思いがあると思っている。自分は。
雇われ人でない、時間を調整できるひとや時間のパーテーションを持たない人とは、時間の価値観が違ってくると思う。
自分のための休日。他人と行動するとき、他人の都合で自分の休日を切り分けられるとき、自分が納得できるのか、そのことに妥協できるかによって、行動を共にするか否かは自分できめることになる。
行動を共にしたとき、行動した後にこの後予定があるからという意見を述べるのは後出しじゃんけんのようなもので、自分的には納得できない。
たとえば、病院にいくスケジュールがあるとして、午前中に終わるので、午後に自分の予定を入れることが悪いのではなくて、その事により相手のスケジュールに影響が出るということが、自分の気持ちを騒がせる理由になる。
時間に関する価値観も人それぞれ違う。
常に一人で行動したらどうかと何時も思っている。依存するものをもたない生活に憧れている。自分の気持ちを逆なでするようなことはできる限り避けたいと常に考えている。自分の気持ちを逆なでするのは他人が自分の思い通りにならない場合である。他人を思い通りに動かせるとも思ってもいない。どのように動いてほしいかの具体的な答えも持っていない。書籍で改めて知ったが、他人にイライラする原因は自分の思い通りにならないからである。この思い通りにならないことを認めて常に認識すれば、他人や物事に対してイライラすることは無くなるのではないかと考えている。
自分は、ようやくそのようなステージまできたんだと思っている。ようやく成長した、知識を蓄えてきたことが報われる、そんな気持ちである。まだ根付いていないので、次のステージには行けていないが年内中だとなんとなく思っている。論理的な根拠はない。そう思っているということだ。
今日はユダヤ人がなぜ迫害されるのか疑問に思い、すこしネットで検索した。今度、書籍でも読んでみようと思っている。物事は、18世紀のナチスに特化しているわけではなく、旧約聖書の時代まで遡ることになる。物事は物差しを変えたり、見る方向を変えるだけで意見は逆転する。虚空のもののせいにした人間の浅ましさ、妬み的なものが原因のようだ。
ある方向からみた情報を得る都度、自分の正義感や道徳感をふりかざして心に波風をふかしている。自分が嫌悪する一つだと思っている。大勢の他人もきっとそうなのだろう。か、低俗なのは一握りの私たちだけなのかもしれない。
自分のその一日を崩すのは簡単で、日本酒を呑んでしまえばその日はもう終わってしまう。今日のような場合、昼前に心に波風を立ててそれを理由に飲酒がはじまって、非生産に一日が終わってしまっている。自分以外のせいにして、酒を飲む。そして悲観する。まったく悪い習慣だと思っている。けれど酒は美味しくて魅力的で、そういう想いがあることが救いなのだと思っている。