週末には自堕落的な一日を過ごしている。朝起きて、内臓が疲れたと信号をあげてくるようになってきた。アルコールを呑まない時は、頭が冴えているような気がするようにもなった。昔からアルコールを呑む習慣があったわけではない、呑むようになってあっという間に依存したから、アルコールは凄い奴だと思う。薬物だと表現する人たちの言い分も理解できる。アルコールは人をつなげてくれることが楽しかったのかもしれない。それはもう通り超えて今は一人で吞んでいる。終着駅に対する不安はない。

 

 友人と酒場でアルコールを呑む。お互いの仕事のことなどを話すのだが、ほかのグループと同じような会話をしているんじゃないかと勝手空想して、代わり映えのしないことを自嘲する。友人は最近仕事を変わったので事務的な仕事をしている、現場にもどって製品を造っているほうがいいと言う。製造は実態が残るからやりがいがあるそうだ。それを聴いて、自分はひどく怠け者なのだと感じる。言葉に出してしまうと、他のグループと同じような会話になってしまう気がするから、話題を切り替える。

 

 

 歯科の定期健診にいく。いつのころからか、食べた後に歯を磨かないと気持ち悪い体質になった。それも相まって口腔内のトラブルはほとんどない。過去の自分は喫煙していたこともあり、医者に駄目だしばかりされていた。今では定期健診で指摘されることもなく、手入れを継続してくださいとつまらなそうに言われる。ただ、現状は問題ないが、過去に治療したところが将来どうなるかわからない、と毎回帰り際に言われる。嫌味はまったく感じないのだが、色々なとらえ方があるなと考える。そんな自分も捻くれているのだなと感じる。

 今年こそは何事も丁寧にと自分に誓い、出だしで躓く。漠然とした目標や行動指針は何も実現できないし、何も生産しない。そんなことは頭で理解しているのに見直しができないのは、もしかしたらと思うからである。当たったら大きい宝くじのようなものだと思う。その宝くじに当たったら、みんなに自慢しようと思う。全然努力なんかしていないと。得られるのは虚しさだろう。

 努力することがかっこ悪い時代があったような気がするけど、流行を追いかけているわけではない。努力することは疲れるから避けているだけ。けれど自分のような能力が低い人間皆が努力をやめたら、と考えたら少しは努力したい気持ちになってくる。とりあえず呑んで明日から頑張ろうと思う。

 福袋という響きが好きである。しかし内容とコストを考えてしまうと福袋が買えないのである。なんとか無理やりにでも購入したいのだが、なかなか自分の価値観が許してくれるものはない。物価が高騰し続けているから、販売側も勢いや縁かつぎだけではふるまえないのだろう。過去にクーポン的なものを買ったこともあるのだが、それは味気ない。福袋は重たくて膨らんだものが好ましくて、気分を盛り上げてくれるのだ。

 今年も福袋には縁がなく、買い物は日用品ばかり。財布の紐をゆるめたい気分になり、新商品のポマードを購入する。日常使用する整髪剤はすでに厳選されていて、決まったものを使用している。ストックも持っているので買う必要はないものである。それでもこうやって新商品を購入するのは、興味があって価値観が許してくれる物だからなのだろう。そう考えれば、福袋が買えないのは

コストではなくて、商品に興味がないからなのであろう。

 

 

 

 年の初めに今年の方針を立てる。今年は不快な出来事に目を見開いていこうと考えていた矢先に、他人の理不尽さに感情を波立てる。自分が被害にあわなくても、その出来事や場面に遭遇したときに心が乱れる。その加害者の立場や考え方を勝手に想像して感情の波をさらに煽ってしまう。けれど、端的に排除するだけでは駄目なこともなんとなく感じている。それは完全な悪ではないからだと思う気持ちがあるからなのかもしれない。

 悪とは何だろうと考えたとき、私の場合は悪魔の悪である。つまり、人間ではないし、おそらく誰も見たことがないものだと思われる。だから人間同士の争いは悪とか善とかないことになってしまう。過去の戦争の歴史についてAIと会話したことがあるが、どんなに偏った史実が残っていても完全な悪ではないし、お互いにグレーなのだそうだ。被害にあうだけの人の気持ちはどうしたらいいのだろうか。その人達に、あなたにも落ち度があるなんて傍観者が言うのは理不尽すぎるのではないかと思う。

だから今日は眠れないのかもしれない。

 仕事が年末の休みに入り、身体がなまらないように早朝にウォーキングをする。他人が外で活動し始める前の、村の道をあるきながら今日の予定を考える。年末年始は他人と約束した予定を入れていないので好きな事だけをできる。アトリエの乱雑に散らかった机をかたづけるのか、または乱雑にちらかったPCのファイルを整理するのか、中途半端な創作活動品を完成させるのか、どれもやりたいことばかり、絶好のタイミングだと思っている。飲みかけの栓のあいたアルコールのボトルを空にすることころから始まって、今日もまた時間だけが過ぎていく。自分の身の周りをみわたして、実は乱れているように見えて本来の形はこの形なのかもしれない。何もないところから、時間をかけてこの乱れた形を造っている。だから、自分の創作品を消してしまう気がして、片付けるという行為を自分の本能が止めているのかもしれない。

 年末が近づくと気持ちが落ち着かなくなる。何か予定が入っているわけではないし、楽しみに待っているイベントがあるわけでもない。仕事から一時的に開放されるから、その時間を別のことに割り当てられるからだと思う。一人過ごすと考えて、やりたいことは沢山ある。予定表をみても時間は十分あるようにみえる、けれど過去をふりかえってみても充実した年はない。ふりかえれば時間が足りていないことになっている。おそらく時間の使い方がひどく下手なのだ。誰か参考になる人はないかと考えるが、他人の予定は知らないので、時間の使い方は参考にならない。アルコールを呑みながらそう思うのだが、要因の一つにアルコールがあることは気づいている。

 朝起きて背中が寝違えたように痛い。それでも会社に行くのは大人になったからのだろうか。学生時代は雨が降ったら通学が億劫になって休んでいた。雨が多い年は出席日数が足りないと警告までされたことを思い出す。その頃は、全て天候のせいにしていて自分の意志ではないと開き直っていた。会社員はこのような理由では解雇されてしまうだろうと出社する、有給を持っているのに不思議だと思う。動くたびに痛い、肉体労働ではないのが何よりもの救いだろう。考えてみると、有給を使わないのは楽しいことで使いたいからなのかもしれない。近々泊りで酒場周りでもしようかと計画している。

 

 

 

 登り続けた人生の坂道をゆっくりと転がっている。転がり続けながら考えているのだが、堕落して何が悪いのだろう。他人に迷惑をかけているつもりもないので自分自身の問題だ。力を抜くことで周りに負荷が増加しているのであれば、後ろめたい気持ちも芽生えるだろう。そうでない場合、罪悪感は自分にかかってくる、そいつの正体は”不安”だと気づく。今、体の中で堕落する快楽と不安が争っている。どちらも否定的な単語だけれど、不安は自分を堕落しないように守ってくれている。仲良くはしたくないけれど良いやつなのかもしれない。アルコールを呑んで、快楽に加勢する私は嫌われても仕方がないと思う。