皆さんこんにちは!
結希です☆
昨日はスピリチュアルセミナーでした。
主催者のナチュラルショップあまむのゴロー店長
ご参加下さった皆様
有意義な時間、どうもありがとうございました!(≧∇≦)
またどうぞよろしくお願いします(`∇´ゞ
さてスピリチュアル関係でお話を交わした時
『あの人はとても大切な内容を話しているけど、人格的に嫌いだからあの話は信じない』
ということを耳にすることがあります。
もしかしたらスピリチュアル関係のことだけではないかと思いますけど、こんな話がけっこう多いんです。
この話を聞く度に大きく2つのことをいつも思います。
1つは自ら省みて人として向上し磨いていこうと思うこと。
もう1つは「人格的に嫌いだからあの話は信じない」というのは、あれ?それって筋違いじゃないの?と思ってしまいます。
人は自分好みの好き嫌いの感情的な判断するところがあります。
信じる信じないはもちろん個人の自由かもしれません。
でも大切な内容の話が1つの法則として語られているなら、人格的なこととすり替えて否定するのはちょっと違うと思うし、何故聞けたかをスピリチュアル的に考えたらもったいないです。
ちょっと話が横道に反れるけど、私は職人に揉まれて仕事してた時期がありました。
職人の世界って人格的なことより技術力というのが優先で、人格的にメチャクチャ酷い人でも仕事を理に沿って教えてくれ、自分の仕事の上達に繋がるなんてたくさんありました。
私達はたくさんの縁の繋がりを持ち、様々な形で自分に必要なことを示されてきます。
示され方の中には、自分が人格的に嫌いな人が必要なことを伝えてくることもあるんです。
だから人格的なことで捌くのはもったいないんです。
最後は生き方の問題かもしれませんが、皆さんにとって優先されるのは
【法則ですか?人ですか?】
それとも別な選択ですか?☆
【結希応援ブログ】
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