義経の登場 王権論の視座から  保立道久著 | 寅月

寅月

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常盤 九条女院の后たちの御時、
都の中よりみめよき女を千人そろへて、
その中より百人、又百人が中より十人すぐりいだされける。
其中にも常盤一とぞきえこける。
千人が中の一なればさこそはうつくしかりけめ  
  (『平治物語』「常盤六波羅に参る事」)
 一条天皇の時の定子と彰子の間の後宮争いのことを想起するまでもなく、
呈子と多子の双方が自分の女房組織を出来るだけ美々しく飾り立てようとしたことは疑いない。
平安時代の宮廷が貴族身分外からも一種の「美女コンテスト」を行ってその女官・女房組織を補充していたことも事実である。〈保立 1998)
常盤がたんなる「雑仕=半物」ではなく、最初から「美女」として九条院に仕えた女性であった。
74頁
 
 


豪子かつこ  忻子 よしこ  多子 まさるこ
 
 
 
 
 
 

貴族とはまずは血統・出生の問題ではあるが、略 
貴族的な環境の中で生活を送り、自己が尊貴なる存在であることを当然視して、
他者に対する強制的で冷酷な命令にも馴れ 
228頁
 
経にとって
平泉は成人としての貴族的な生活を実際に営んだ場であったらしい。