■それは宮沢賢治を叩きのめした生活の罠に対する周到綿密な反撃の装備目録を、あらゆる悔恨をのみ下しながら点検したものである。 じぶんのたおれたところからもっと遠くまで行くためには何と何が必要か?
見田宗介著 宮沢賢治 存在の祭りの中へ 234頁
■力尽くさずして退くことを拒みぬくこと、
力及ばずして倒れるところまで到りぬくことのほかになにがあろうか 237頁
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貧農の生活を全うできる体力を持っていなかった宮沢賢治。
生活の中で頭脳の明晰が失われていることも自覚していたそうな
実家で療養しながら"次回”に向けて・・・ とのこと。
■売り家と唐様で書く三代目
パロディ化とはつねに、する人間の方が、される対象よりも卑しい。
もともとそういうものです。 自分に見合った卑しい生き方でしか理解できないからパロディ化する。
___ 文化や自然を楽しむ3代目の社会こそが人類が目指すべき社会だと
13頁
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■「未来に危険なことがあるから、やめよう」というと『危険は今ではない』ということになってしまって、リアルな問題として考えられないのですね。それに対して、イエスは別のことを言ったんです。「神の国は汝らの中に在る。」(ルカによる福音書)
これは心の中に在るというプラトニックな意味ではありません。
当時のアラム語の「汝らの中に在る」というのは、汝らの手の届く範囲にもう来てる、つまり汝らは神の国の内側に入ってるというメッセージになるのです。
だから、イエスの言葉は当時インパクトがあり、少なくともある種の社会変革につながったのだと思います。
87頁
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やっぱり 翻訳って別のものなんやね
◇神の国の内側 『・・これが?』って思っちゃう。
当時考えていた外側と内側の差異を認めるやろうか
『汝らの中に在る』ってイエスが生きていた短い時間にだけだったやろうか