武挙(上級武官資格試験) | 寅月

寅月

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治平元年(1064)‟武挙”と呼ばれる上級武官資格試験の科目として『六韜『三略『孫子』『呉子』『司馬法』など兵書から出題する筆記試験も課そうという提案が行われる。
煕寧五年(1072)には、実際に『孫子』『呉子』などが武挙に出題され武官養成機関である武学で兵書の教育が始まった。 これ以後八百年以上にわたり『孫子』は武挙と武学という人材選抜制度を背景に読まれ続ける。
59頁

 孫子の版本で最も古いものは南宋に刊行された3種類である。
『魏武帝註孫子』   「武経七書」に含まれる孫子   『十一家註孫子』

■営利を目的とした全く新しい型の注釈、武挙・武学向けの学習参考書が出現
それまでの注釈書が分かりきったことをいちいち言わないのと異なり、学習参考書は隅から隅までひととおり解説してくれる。 答案の形式・文体に似せた注釈になっているので、暗記しておけば受験にそのまま役立つ。

■南宋の代表的な参考書 施子美(福州の人)『施氏七書講義
平板な対句を多用したこの文体は、武挙の答案作成において要求された型 中国語の散文としてはまことに凡庸で品が悪い。
無学な者の使う俗書として中国では大事にされず、ほとんど残らなかった。
絶大な影響を受けたのは日本で、鎌倉時代から江戸初期の中国兵書研究はほとんど
『施氏七書講義だけで語れてしまう。

62頁


平田昌司著 『孫子』解答の無い兵法
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それなりに意味をとることができたとしても
詩的な良さを外国人が楽しめるわけないもんね
■作家武田泰淳が「孫子」は薄いパンフレット一冊に楽におさまるほど量が少ない。その文章は暗示的でどうにでも解釈できどんな珍説をも付加できるゆとりがある」、「胸中にたまっていた想いを爆発させるのに、「孫子」をダシに使うのもわるくない」と評した
 近現代日本における  139頁


■19世紀後期に始まる日本知識社会の漢文読解・作文力の急速な低下だろう。江戸の漢文学者が切実な関心を持って読んだ清朝の学術文芸はもちろんの事、古くから読まれてきた蓄積のある『左伝』「史記」や『文選』でさえそれなりの準備なしには通読しにくい。なじみやすい『論語』や『孟子』にしても、人名や社会制度の知識抜きにには躓く個所があるところが孫子は固有名詞を含まない含まない簡潔な文体で書かれ、殆ど自己の体験と知恵で読んでしまうこともできる。
140頁
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■原文「易於敵」の「於」は,「易〈動詞:あなどる)」+「敵(目的語)」を強調するために加えられている。
春秋時代に見られたこの強調語法はその後しだいに衰退し、唐代には
「於」の存在が不自然に感じられるようになった。 そのため、宋代以降のテキストになると、自分たちの時代の語感にもとづいて、あっさりと「於」を削るという原文の合理化をしてしまう。
160頁

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      上古中国語 ⇒○○○⇒現代中国語 発音だって違うやろう
「道生(355年 - 434年)が悉有仏性論を先駆けた」ってなふうに、変えてしまえるもんなんやろね
和歌が歌道でもって神秘化したのは、多くに曝されなかった狭さ故やろか?