潮目(善悪とは別) | 寅月

寅月

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これまでの 琉球事件・台湾出兵から清仏戦争までの清国の動きを見ると、
清国が日本に「親密」さを表すのは「東洋大体論〔日本 清国 朝鮮国など「東洋」を一つのものとして利害を考える論〕のためではない。
日本に種々の小政略を実行させない事や、列強と連合させないためである。
このように原は、清国の朝鮮政略を「東洋」全体の利害を考えたものでなく、利己的なものだととらえた。

251頁
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 例外者はおるだろうけどそんなものでしょう。
隣国と地続きのあの国土で先進的な見識が行き渡るほど豊かであるはずがない。


■中国の統一を支援する方針
中国の北方派政権と南方派の妥協についても、組閣後間もない1918年(大正七)10月18日閣議で日本が中国の両派に様々な根回しをした後、列強と共同して南北妥協の勧告を試みる方針を決めた。
原は11月2日の天皇への内奏にもそのことを盛り込み、どう17日には山県との会見で賛成を得た。(原敬日記1918年10月18日 11月2日、17日)

■困難と見ていた。
しかし中国人が最も望む南北統一を促進する行動を日本が取ることで、それが 実現するか否かに関わりなく、中国人が日本人に好意的評価を与えるようになる。

大隈内閣や寺内内閣の中国北方政権に21ヶ条要求のような強引な要求をしたり、南北各派に個別に支援して利益を得ようとしたりするような外交路線を大枠から変えたのである。  

                                   伊藤之雄 著 原敬外交と政治の理想 303頁





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大隈らじゃなく原だったら今頃・・
とか思うのは、負うことなく欲する卑しさやろな
偉人といえど 空中に浮かんでるんじゃなく 同じ地面から生えてるんや 多分
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日清戦争後の創立された京都帝国大学を加えて
二つの帝国大学だけでは 日露戦争後の日本の国力の現状に見合った発展には不十分と考えるにたったのであろう。

献納は古河寅之助(後見人の木村長七も連名)を願人として
1906年12月3日付で三大学建築費として合計105万6876円なされることになり5年賦で払われ、1912年に工事は完成した(古河寅之助君伝 89~90頁)

■■古河鉱業顧問 足尾鉱毒事件
     谷中村 1906年に強制廃村 
    買収し遊水池
土地収用補償金・建物の破壊費用に徴収され 住民の手には58%しか渡らなかった。
   栃木県史編さん委員会『栃木県史 資料編 近現代九 1108~1109頁
 補償金不服訴訟 1919年8月決着 県の買収価格の5割増し 『栃木県史 通史編 近現代三 984~988頁

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無私』『宝積』 で生きようとしながらも 無欠でいられるわけじゃないし


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でもまぁ 遠い未来には

 サイクス・ピコ協定 ■第一次対戦後イギリスとフランスは「サイクス・ピコ協定」により中東地域を分割する約束をします。

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イギリスの安全を意図して・・
ロシアを脅威として朝鮮半島を用いようとした日本を連想しました。


長くかかりますね