1924-1941「排日移民法」と日米関係の展開。廣部泉 | 寅月

寅月

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■しかもこの問題は実質的国益とは関係の無い問題でありながら、日米の重要な交渉の局面において必ず登場してきた。
列強中で唯一の非白人国であり不平等条約の時代から劣等意識を持ちつつ努力して一等国となったことに深く根ざしていた。








 世界恐慌による失業率の激増が致命的であったが、修正運動自体も様々な弱点を抱えていた。

まず、東海岸の教会関係者と西海岸の実業家との間には大きな溝が存在しており、両者が共闘することはなかった。

また修正運動の中心となったアメリカ民間人が交流していた日本人は、日本人外交官が中心で、実際の排斥の対象となった日本人移民とはほとんど関係がなく、一般の移民を下に見る外交官の視点を共有していたといえる。



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遠い祖国~ブラジル日系人抗争の真実~ NHK BS1
「むこうにしたら 虫けら」インタビューを受ける老人がさらりと言った。

 満州やブラジルが要ったのは地代を払ったら手元に残らないという状況だったから
そういう足場に立ってる選良が・・・


■ アメリカの 聖職者たちの正義の行動は、関心を呼ぶことで実害を引き寄せたそうな。
実業家の目論見はより実際的だったけど 結局・・


実業家と聖職者に溝があったと読んで、
『足場を同じくしない人が、別の視野で助言ができんものやろか・・』と思ったけど 別にあると見えて一つの流れに在ったのかも   東海岸も西海岸も日本も
・・・
宗教やら商売やら長い歴史をもつものは、状況に対して有効な何かを含んでそうやけどなぁ