~アラフィフ親父の「日本蜜蜂」奮闘記~ -26ページ目

~アラフィフ親父の「日本蜜蜂」奮闘記~

私、「toratoralion」=tora=飯田友一が、「日本蜜蜂」で養蜂を始めた日々を綴ります(*^o^*)

toraのゼロリセット日記

以前のブログ記事で、映画「マトリックス」の主人公「ネオ」になりたいということを書きました。

映画「マトリックス」をまだご覧になっていらっしゃらない方は是非、ご覧いただきたいのですが、そういう方のために若干補足いたしますと、、、

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<さわり>
近未来。コンピュータ・プログラマーのトーマス(キアヌ・リーヴス)は裏稼業ではネオと呼ばれる名うてのハッカーだったが、ある日、突然トリニティ(キャリー=アン・モス)と名乗る美女の接触を受け、彼女に導かれて、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)なる人物に会う。

彼はトーマスが生きているこの世は、実はコンピュータが創造した仮想世界で、実際は彼らが造り出した巣の中で夢をみせられているだけだという恐るべき真実を告げる・・・

そして、トーマスことネオはコンピュータの支配を覆す救世主と目されて彼らの仲間に迎え入れられ、仮想空間でコンピュータと格闘できるだけの訓練を受けるのだった・・・
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ということです。

で、私が「ネオ」になりたいという意味合いは、今我々が生きているこの世が映画と同じく、
「仮想世界」=「リアルRPG」
であるということをしっかりと感じたいということなのです。

このことを一般的に「目覚め」とか「悟り」とかそんな風に表現していることだと感じています。

それで、ボーっとしているときに「ハッ」っと感じたのが、
「ありゃ、既にモーフィアスちゃんに出会ってしまったかも?」
ということなのです。

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どういうことかというと、先日、私が弟子入りさせていただいたお師匠様がまさに私にとっての「モーフィアスちゃん」だ!!!ということなのです。

風貌は、全く異なりますが、頭の状態は同じ感じだし、至極まっとうな方なんですが、とてもブッ飛んでいるし、、、

ということで、私のお師匠様は、私にとっての「モーフィアスちゃん」だ!!!と認識しています。


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だとすると、私は「ネオ」???

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沢庵和尚の「不動智神妙録」の口語訳とそれを踏まえた上での、私の所感を時々綴っています。


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無明住地煩悩「とらわれる心」=「迷い」

相手から打ってこようが、こちらから打っていこうが、どんな人がどう打ってくるかなど、どんなことにでも、ちょっとでも心がとらわれてしまうと、こちらの動きがお留守になって斬られてしまうでしょう。

敵の心を意識的に知ろうとすれば、かえって敵に心を見透かされます。

自分の刀の動きを気にすれば、自分の刀に心をとられ、打ち込む瞬間に気を使えば、それに心をとられ、自分の心の在りように気を使えば、自分の心に心をとらえてしまいます、このようなことでは、自分自身の抜け殻のようなもので、何の働きもできません。

こういったことを仏法にあてはめると、この「とらわれる心」を「迷い」といい無明住地煩悩といいます。
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<所感>
「策に溺れる」という言葉があります。
策を弄すれば、それを相手に読まれてしまうことが多々あります。

最近はあまりそういうことはないのですが、以前の私は変化球(策を弄して)で、結果を出そうという傾向がありました。

そういう癖を剣道の師匠は見破っていたのだと思いますが、常に正々堂々と「面のみを狙っていけ!!!」ということを叩き込まれました。

「剣の道」と「人の道」は、全く同じものだな!と感じます。





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最近、「身削ぐ」ために精進する毎日でございます。

「身削ぐ」とは、自分に染み付いている余計なものを削ぎ落としていくこと。「禊」のもともとの意味のようです。(←未確認)

先週、そのために気を付けていたのが、
常に「愛に在るのか?」
ということです。

どういうことかというと、
自分の「意図」・「言葉」・「行動」が
「愛」に基づいたものなのかどうか?」
を常に客観視する
ようにしていました。

ともすると人間は、「自分の欲望を満たす」ために「着地点を考え」、「言葉を発し」、「振る舞い、」がちです。

しかし、ほぼ全ての人は、相手が「心の底から自分のこと思ってくれている。」のか、「ただ単に自らの都合でそうしている」のかを敏感に見抜きます。

同じことをするのであれば、私は相手に喜んでもらえる存在でありたいと思います。

例え、厳しいことを言ったとしても、それが「愛」から発せられたものかどうかは、人はわかります。

そういった意味で、
常に愛に在りたい今日この頃です。


日々是精進


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岩元良枝さんの予言?通り、奇跡が起こった話しを前回のブログ記事で、ちょっと書きましたが、今回はその経緯を書きます。

実は、最近ある方(以下、仮称でCさんとします。)にとても興味をもっていて、
「凄い人だな~、こんな方いらっしゃるんだ・・・」
「無茶苦茶、浮世離れしてて、魅力的だな~」
「一度、直接お会いしたいな・・・」

と考えていました。

その方には、以前ネットを通して、メッセージをお送りしていました。

そして、先々週、3月2日(金)に直接、お電話をいただけたのです。それで、3月4日(日)にあるところでお会いする運びとなりました。

その時の模様を以下に再現します。

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  :おはようございま~す!

Cさん:おはようございます。toraさんですか。わざわざ、お越しいただいて・・・

その後、私の自己紹介をさせていただき、ちょっと落ち着いたところで・・・

Cさん:さて、toraさん、相談ごとは何かありますか?

  :相談???、特に今、相談したいことはないんですけど・・・

(あ~、普通は、何か相談したいからCさんにお会いするのか。。。自分は、ただ「お会いしたい!」って、気持ちだけで来ちゃたな・・。何か考えるか・・・)

Cさん:そうですか、そうですね!今日、toraさんが私のところにいらっしゃたのは、私の弟子になるために私に会いに来たのです!

  :!!!あ~、やっぱりそうでしたか、そんな気がしていました。では、弟子にしていただくということで、よろしくお願いいたします。(ぺこり、即答。)

Cさん:では、そういうことで。よろしくお願いいたします。

固~い、握力比べのような握手・・

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このような経緯で、Cさんに弟子入りのお願いをした訳ですが、決して脚色はありません。時間にすると1分くらいです。

普通に考えて、お互い何の前段もなく
「君は私の弟子になるために来たんだ!」
「ではお願いします!」という流れはあり得ない
と思います。

その後、Cさんからは「実は、お電話を差し上げたときには、もう今日のことは決まっていたのです」というコメントがありましたが、私も実はお電話をいただいた時にこうなるんじゃないかな~と何となく感じていたことは確かなのです。

そして、早速、3月5日(月)に第1回目のご指導をしていただだきました。

繰り返しになりますが、通常、会ったこともない者同士が、初対面のものの1分で師弟関係になるというのは、まずあり得ないことだとおもいます。

そういった意味で、
「いや~、この世は誠に『摩訶不思議』ですね~!!!」
という感じです。

それでは、今日はこのあたりで。
ご機嫌よ~



追伸: 師匠のご了解をいただいておりませんので、師弟関係の詳細についての公開は現時点では、差し控えさせていただきます。ご了解をいただいた上、機会があれば詳細を別途公開させていただこうと思います。
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本日は、私の身に起こった奇跡を皆さんにご紹介させていただきたいと思います。

以前のブログ記事でアカシックレコードリーディングの岩元良枝さん(ブログは→こちら)のことをちょこっとご紹介いたしましたが、今回は「良枝さん恐るべし!!!」というお話しです。

良枝さんには2月19日にスカイプでセッションをしていただいたのですが、その時のやり取りをまずご紹介します。

(良枝さん)「toraさんは、これから『悟り』の道に進みますね~」

(私)「やっぱりそうですか・・・やっぱりな~・・・。ところで、去年くらいから、高野山で修行をして、真言宗のお坊さんになろうと思うのですが、アカシックレコードの情報的にはいかがなものでしょうか?」

(良枝さん)「ちょっと待ってください・・・ん~、方向としては決して間違っていないんですが、集団で修行するとかそういうのではなく、一対一の師匠と弟子のような関係が見えるんですよね。。。多分、そうなります・・・」

(私)「一対一ですか・・・。へ~、わかりました。(一対一で精神的修行なんて、そんなのあるのか?全然想像できないけど、まっいいか・・・)


以上のようなやり取りがあって、「精神性を向上させるために師匠と弟子のような関係で教えを受けることになる」と良枝さんから伝えられました。

私の想像の範疇では、私が納得できる形での一対一の師弟関係で精神性を向上させる手法というのは全く頭に浮かんできませんでした。

そして、良枝さんにリーディングをしていただいてから、約3週間たちましたが・・・



なんと、奥さん!またまた、聞いてください!!!(←しつこく、みのもんた風)





じゃん、、、、
続きは次回・・・、じゃなくて、、、


なんと、先週、ある方と師弟関係を結んできました。
しかも、三次元世界の常識では、絶対にあり得ない師弟関係です。私から言わせていただくと、まさに奇跡が起きました!(←詳細は、次回。)

で、今回の結論、「良枝さんのアカシックレコードリーディング、恐るべし!!!」ということです。

是非、皆さんもご興味がありましたら、良枝さんのアカシックレコードリーディングを受けてみてくださいね!!!(HPは→こちら
お薦めです。
それでは、ご機嫌よ~


追伸
さて、次回はどのような経緯で師弟関係を結んだかについて書きたいと思います。



今日は、息子の卒業式でした!シュタイナー教育を12年間受けさせました
。シュタイナー教育を受けさせて本当によかった。
生まれてきてくれてありがとうm(_ _)m
photo:01



iPhoneからの投稿
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本日から、沢庵和尚の「不動智神妙録」の口語訳とそれを踏まえた上での、私の所感をしばらく綴りたいと思います。

第一回目の題材は、「無明住地煩悩」です。

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仏法には、修行の段階を52に分けた、52位というものがあります。
住地とは、その中の1つです。
物事に心が止まることを指しています。


これを兵法に例えると、
敵が刀を振り上げて切りかかってきたとします。

その刀を一目見て、「あっ、来るな!」などと思うと、相手の刀の動きに心がひきづられて、こちらは自由に動くことができずに切られてしまいます。

打ち込んできた刀を見ることは見るのですが、それに対して、ここで相手の刀を切り返そうとか、どう打ち込もうかなどと思慮分別を一切もたずに、つまり少しもとらわれることなく、ただ相手の刀に応じていけば、切りかかってきた刀をこちらにもぎ取って、かえって相手を切ることができるのです!

【私の経験】
剣道をやれば、すぐにわかりますが、まさに沢庵僧正の言葉は、真理をついています!

心がとらわれていると、必ず相手に一本とられてしまいます。。。。

翻って、日常生活も同じ。。。

日々是精進(^_^)v
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さて、「今を生きる」為の何らかの糧となるようなことを書きたいな~と考えていましたが、餅は餅屋でという言葉もあるように、兵法の視点から何か書けないかな?と思っていたところ、ちょうどいい題材が見つかりました。

それは、沢庵和尚が記した「不動智神妙録」です。

沢庵和尚(以下、沢庵)は、1573年、但馬に生まれました。今から、439年前に生まれた訳です。
沢庵は一筋に仏教を追求し、仏法の実現のために生き抜きました。

沢庵の一生は、一言で言えば彼自身の書いた
「今の世に順ずれば道に背く、道に背くまじとすれば、世に順ぜず」

の言葉に尽きています。

その沢庵が記したものの一つに「不動智神妙録」があります。

この「不動智神妙録」は、柳生但馬守に向かって、剣禅一如を説いたもので、日本兵法の確立にとって大きな影響を与えたものとして、昔から評価されてきたものです。

しかし、その実、仏法を通して剣を説き、更に剣に生きる姿勢を説くなかで、人が人として生きるには、どうすべきか、どうあるべきかを説いたものです。

沢庵が最も強調、繰り返し力説したのは、
「自分が自分になりきる」、
「自分に徹しきるには」

どうすべきか?ということです。

そういった意味で、まさに「悟りとは?」という語り得ぬことを語ったものです。



次回から、「不動智神妙録」を私なりに解説したいと思いますo(^▽^)o

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私自身、「誂え」の人生を生きていく上でのキーワードは、「悟り」であるということを前回書きました。

そうすると、そもそも「悟り」ってなんじゃらホイ?
ということになりますが、何も難しく考える必要はないのかな?と私は考えます。

一言でいうと、「今を生きる」、以上。という感じだと思います。

「以上」で終わってしまうとブログ記事が続かないので、「何を書くか?」とツラツラと考えていたところ、自分の体感したことを自分の備忘のためと皆様の何かに役立つかもしれないという想いで何かを書いてみようと思い立ちました。

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いつもお世話になっている糀谷の「Tune」さんで、「ゼロリセットセラピー」を受けだしてから、常々痛感するのですが、「頭でわかっていても体感していななければ何の役にも立たない。」ということがあります。
(自戒の意味を込めて、、、、、「マインドだ自我だ真我だ、空だ、今に寛ぐだ、何んだ~、かんだー、考えているんじゃなくて、今の今、目の前にいる人と誠実に接し、目の前の仕事を淡々とこなし、常に喜びと感謝を持って生きよう!!!」ってな感じ。。。)

えっと、それで、たまたま(たまたまではなく必然か?)、私は「居合」と「剣道」をやっていましたので、剣術の先達の言葉と自分の体験を織り交ぜながら、「『悟り』って、なんじゃらホイ?」という視点で次回からブログ記事を書いていこうかと思います。

昔から感じているのですが、日本の伝統芸能や「道」とつくものの行く着く先は、どうも同じなのではないか?と。。。

それが、「悟り」というキーワードへとつながるのではないかとそんな視点で文章が書けたらいいな!と思っています。

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ご期待ください!!!