神々との遭遇(1) | ~アラフィフ親父の「日本蜜蜂」奮闘記~

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私、「toratoralion」=tora=飯田友一が、「日本蜜蜂」で養蜂を始めた日々を綴ります(*^o^*)

さて、昨日私が感じた

「自分が見ているこの世の中・この世界というものは、『自分』というフィルターを通して見た、たった『一つの世界』であるということに関して、今回は書きたいと思います。

日常の単純な事柄に対するものの見方でさえ、立場が違えば、人間の評価・ものの見方というのは、全く違ってくると昨日書きましたが、

言われてみれば、「それって、当たり前じゃん!だから何なの?」なんですが、私としては、「やっぱり、それって凄くない!!!」なんです。

例えば、自分自身の中で、「自殺しちゃいたくなるくらい、辛い、せつない、どうしたらいいかわからないよ~」と感じてしまう事象が起こっていると仮定します。

そこで自分の中で、ちょこっとその事象に関する捉え方を変えてみると、あら不思議、こんな具合にその事象に対する評価が変わる訳です。

「自分はなんて幸せなんだろう!普通だったら、自殺も真剣に考えちゃうようなこんなことが自分に起こるとは確率論的に考えても普通あり得ない。そのあり得ないことが自分に起きたのは奇跡に近いことだ!奇跡が起きたということは、なんて私はラッキーなんだろう。よく、『その人が乗り越えられないことは、起きない』と言われるが、ということは、今自分が『どうしたらいいかわからなーい』と一見困ってしまっていることも乗り越えられる訳で、これを乗り越えられれば、とってもとっても打たれ強い人間になれたということだ。それは、もしかして、凄いことかもしれない。それより、なにより、そもそも今、目の前に起こっていることは、自殺まで考えなきゃいけないほどの不幸なことなんだっけ。。。」

という具合にその事象に対する評価を簡単に変えられ訳です。

だとすると、我同志、亮然さんがいうところの「この世は、単なるリアルRPG」ということがすんなりと腹におさまる訳です。

で、こんなことをツラツラと考えていたところ、
「そもそも、熊野旅行記を私の立場から書こう」と思い立った意味と意義ってなんだっけ?」と再度、思い返したところ、それを書いたところで、私にとっても、それを読んでいただく読者の方々にとっても、「あんまり、意味ないな!」と感じた次第です。

ですので、「神々との遭遇」というお題で、 熊野旅行記を書こうと考えていたのですが、旅行記自体をまだ書き始めていないにもかかわらず、書くのをやめることといたします。(期待していただいた方がいらっしゃいましたらごめんなさーいm(_ _)m)

そのかわりに今後、皆様にとっても「役立つかな?」というような日常の中での私の視点からの『気付き』というものをテーマにツラツラと情報発信をしていきたいと思います。



それでは、また!
ごきげんよー(^O^)/