今日は行徳哲男先生のお話からです。
「昭和45年の安保闘争の時、藤本敏雄というカリスマ的指導者がいました。
あの加藤登紀子さんと獄中結婚もした学生運動の闘士です。
当時、藤本についていった学生は二十万人とも言われていました。
彼は、逮捕され三年八ヶ月間を牢獄で過ごします。
出獄したあと、三島の龍沢寺で座禅の修行をした後、私の研修を受けたのです。
そのとき私は彼に「獄中生活で何を学んだのですか」と聞きました。
すると彼は
「若気の至りもあって、正しいか間違いでしか物が見みられなくなっていました。
社会の仕組みは正しくない、権力は間違っていると思ったから、
それに反発して安田講堂や国会議事堂に突入した。
しかし、獄中生活で知ったのは正しいか、間違いかで物を見る空しさでした。
私は、いま楽しいか楽しくないかで物事を見るようにしています。」
そう答えたんです」
☆☆☆☆☆☆
「好きかどうか」「楽しいかどうか」の感性の判断基準。
☆☆☆☆☆☆☆
理性で考えると、「正しいか間違いか」「損か得か」
「儲かるか儲からないか」「善か悪か」で判断してしまう。
理性的な判断基準ばかりでは、偏りができる。
理性ではなく、肉体と感性を使うこと。理性的な判断だけでは
「好きか嫌いか」「いい感じか悪いか感じか」「楽しいかどうか」「快か不快か」
の感性の持つ判断基準・能力を使うことも大切なのです。
その上で、創造力を使うこと。
心地よくないものも受け入れて、心地よいものに変えていく力が創造力なのです。
頭で理解していても、実行できないことが多くある。損か得かで動いていることが多い。
儲かるか儲からないかで決めている。利益は大切。利益がなければ続かない。
物やお金を追求していくと限りがない。
「もっと、もっと」になってしまう。
自分の好きなことをやりながら生きること。
人生を楽しむこと。
そんなことが簡単に出来るなら、誰も悩むことはない。
これだというものが見つかっても、「ほんとうにこれでいいのか」と悩み続ける。
何のために生まれてきたのか。お金も大事だけど、それよりも大切なこと。
会社のためではなく、自分のために生きること。
自分のために生きて、人の役に立てるように生きること。
自分のために生きて、会社や社会の役に立つにはどうすればいいかを理性を使って考える。
感性の判断基準、
「好きか嫌いか」
「楽しいか楽しくないか」
「快か不快か」