「人生になぜ哲学が必要か」4
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●理性の支配を脱却し、感性の本質に立つ
科学は「真理はひとつ」だといい、変化しないものの中に真理を発見しようとしてきました。
しかし、科学の歴史をたどれば、真理もまた変化してきていることに気づきます。
人類は変化しないことには耐えられないのです。
変化を常に作り出すことこそ、生きるということの最大の目的ではないのか。
あらゆるものを固定化するのは理性です。
変化を要求するのは、感性です。
科学も哲学も、感性を原理として、現実のあらゆるものに対応していかなければなりません。
「感性論哲学」を創造した原点はそこにあります。
あらゆるものを固定化するのは、命を殺すこと。
あらゆるものを変化しないようにするのは、現実を抹殺すること。
現実は根底から変化しています。
だからこそ、我々は新しい原典の創造に意欲を燃やさなければなりません。
人間にふさわしい生き方をしようとするならば、人間であることに徹さなければなりません。
人間は人間でないものになってしまうような目標を持ってはならないのです。
いまこそ我々は、人間であることに喜びと誇りと自信を持って、人間であることに徹する生き方を求めなければならないのです。
すべてのものの本質と理念、つまり真実が変化であるならば、人間の本質は理性ではなく感性です。
人類は早く理性の奴隷から脱却しなければなりません。
自分と同じ考え方の人間しか愛せないのは、理性の奴隷になっているから。
自分しか愛せないというと同じこと。
愛という能力は、命が他者を愛するために作ったものです。
自分しか愛せないのは偽物の愛です。愛の堕落です。
男女には異質性が山ほどあります。
夫婦はもともと他人です。異なる時間空間の中で成長し、生きてきました。
それが生活を共にすれば、さまざな違いが目につきます。
だが、違いがあっても共に生活していかなければならないのが夫婦です。
そのためには、理屈を超えた力が必要です。
それが他者、自分とは異なるものを肯定する「愛」の能力なのです。
子供は常に新しい時代をつくることを使命として生まれてきます。
子供は親を超え、大人を超えていかなければなりません。
そのために、命は第一反抗期・第二反抗期といった自然に出てくる成長過程を用意してさえいるのです。
理性に支配され、理性の奴隷になっている今の大人は、自分と同じ考え方の人間しか愛せませんから、
子供に素直さと従順さを要求します。
子供が大人と違う考え方になることを許しません。
本当の意味で、大人が子供を愛せなくなっているのです。
人間の本質は理性ではない、感性であるということを、今こそ叫ばなければならないのです。