哲学は時代を興す原理である。
新時代を告げる歴史の胎動は、哲学的信念の確立と共に始まる。
現代に生き、未来を知らんとする者は、まず、新しき哲学の門を叩け。
人間は、常に、未来に生きる存在である。
未来は、如何に在るべきかという理念の世界である。
如何にあるべきか、如何に為すべきか、という理念は、
哲学的思索と論理によってしか与えられない。
科学は、ただ、事実を語り得るのみだからである。
真実は、心を満たすものであるから、心において感じられ把握されるものである。
しかし、それは、いまだ、形なき漠然としたものにすぎない。
その心のなかにうごめく形なき真実を論理の力によって鮮明にし、
人間の心を究極において満たすものが何なのかを
思想として表現せんとするものが、哲学である。
思想とは、論理によって自覚化された真実である。
そこで、人は自らの心を本当に代弁してくれる思想を求め模索し、
遂には、自ら創り出さんとして努力するのである。
偏見を持った思想は、対立を生み出し人類を不幸におとしいれる。
哲学とは、真実を求める人間が、人類の運命をかけて、
論理を支えに、より正しい考え方を追究する、
果てしなき真実への求道なのである。
感性論哲学は、直観主義ではなく、実感主義の哲学である。
方法論としては、発生学的解釈学の立場をとる。
感性論哲学は、なにものをも否定しない。
それ故に、感性論哲学は科学技術文明をも否定しない。
問題は、その上に如何なる文明を積み重ねて行くかである。
感性論哲学は、人類普遍の実感、感動に内在する存在論的実質を原理として重視する。